鶴谷八幡宮 千葉県館山市八幡 安房国総社
旧・県社
現在の祭神 品陀和気命(応神天皇)・帯中比古命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)
本地 阿弥陀如来

たてやまフィールドミュージアム[LINK]より

観音巡礼と那古寺[LINK]

<鶴谷八幡宮と那古寺>

 下の絵図は鶴谷八幡宮の境内ですが、八幡社殿の左後ろに本地阿弥陀堂、右手前に鐘楼が描かれています。 八幡神の本当の姿は阿弥陀如来なので、それを祀るお堂があるのです。 神仏習合という我が国独特の信仰形態です。 周辺には神職である神主・禰宜・命婦・4人の社人の家柄があり社前奉仕をしていましたが、すぐ近くに那古寺の衆分の千灯院があって、社役として神社管理にあたりました。八幡宮の社領も那古寺を介して神社や神職に配当されていました。 江戸時代になると全国的に神職が別当支配への抵抗をみせるようになり、鶴谷八幡宮でも享保19年(1734年)年に本殿での仏式の神檀に反発して訴訟になったことがありましたが、別当支配が揺るぐことはありませんでした。 八幡宮の神事祭礼にも那古寺が強く関わっていました。

八幡・湊・鶴ヶ谷[LINK]

(1)鶴谷八幡宮

 安房国の総社とされ、例祭の9月14・15日には安房国内から古社10社の神輿が渡御して八幡の祭がおこなわれる。 もとは安房国府が所在した三芳村府中に鎮座していたとされ、鎌倉時代に頼朝か現在地に遷したという説と、室町時代の里見義実によって遷されたという説がある。 八幡の祭は府中にある元八幡神社でお水取りをしてから始ることになっている。 里見氏の篤い信仰によって保護をされ、政治的にも利用された。江戸時代の社領は171石余で、別当の那古寺が管理していた。

(4)阿弥陀堂

 現在は八幡地区の墓地のお堂になっているが、明治になるまでは八幡神の本来の姿である阿弥陀如来を祀る本地堂であり、鶴谷八幡宮の付属施設として社殿の隣にあった。 仏が人々を救うために神の姿を借りて現れるという本地垂迹説では、八幡神の本地は阿弥陀如来である。 また堂内には、かつて八幡宮一の鳥居と二の鳥居の間にあった弁天社に祀られていた弁財天像も祀られている。
戦国期末の里見時代のもの。