宇倍神社 鳥取県鳥取市国府町宮下 式内社(因幡国法美郡 宇倍神社〈名神大〉)
因幡国一宮
旧・国幣中社
現在の祭神 武内宿禰
本地 阿弥陀如来

「八幡愚童訓」下

 夫武内大明神と申は、孝元天皇四代孫、垂仁天皇十年に景行天皇と同日に誕生し給ふが故に、天皇殊寵愛し給き。 景行天皇の御宇に棟梁の臣たり。 成務天皇三年正月に大臣たり。 生年五十歳。 日本の大臣是を以て初とす。 仁徳天皇五十年に隠させ給ふと云々。 景行・成務・仲哀・神功・応神・仁徳、都合六代の朝政を承へり。 御年三百六十余歳をへて、因幡国宇陪宮の山中に衣冠正くして入給ふ。 御沓許を留置、一句の文を残されたり。 「法蔵比丘豈異人乎。弥陀如来即我身是」とありし日を薨じ給ふと名付て、御沓を墓所と崇たり。 老子先生は一巻の書を伝へて崑崙に入り、武内大臣は一句を留て宇陪宮に入給ふ。 迦葉尊者は法衣を残して鶏足に隠き、武内大臣は御沓を捨て宇陪宮に隠給ふ。 周利槃特は一句を学んで証果を得、大臣は一句を以て本地を告ぐ。 黄帝の登霞には弓を落て鼎湖と名付、大臣去し日は沓を解て墳墓を成せり。