宇奈多理坐高御魂神社 奈良県奈良市法華寺町 式内社(大和国添上郡 宇奈太理坐高御魂神社〈大 月次相嘗新嘗〉)
旧・村社
現在の祭神 高御魂尊・天太玉命・思兼命
本地
桜梅天神十一面観音

「日本の神々 神社と聖地 4 大和」

宇奈太理坐高御魂神社(土井実)

 当社はもと法華寺の鎮守となっていたが、明治維新の神仏分離まではおそらく境内に桜梅天神の本地堂があって、十一面観音立像を安置していたと考えられる。 その仏像は室町時代の作で、法華寺に移されて現存し、光背裏に 「奉修補、桜梅天神御本地堂、十一面観音、後光台座、延宝五年(丁巳)二月日、願主法華寺高敬敬白」 の墨書がある。
 なお、当社本殿の後方に古い十一面観音の石像が残り、ひどく破損しているが、断片的ながら 「……天神」 などの刻銘が見られる。

「奈良県史」第5巻

宇奈太理坐高御魂神社[LINK]

宇奈太理坐高御魂神社〈大。月次相嘗新嘗〉
 『大和志』に宇奈太理坐高御魂神社法華寺村にあり、今楊梅天神と称すとあり、式内大社の当社にあてられているが、横井町あたりに鎮座の社が当社だとの説もある。 古来法華寺鎮守としてその管轄下にあったが、明治の神仏分離で神域内の本地仏十一面観音は法華寺に移され、神社は地元村で祀られることになった。
 祭神は高皇産霊神・太玉神・思兼神。 流造三間社本殿は室町初期の建築で、重要文化財。
 『日本書紀』持統天皇の六年(692)十二月二十四日太夫等を遣わして、新羅の調を大倭菟名足外四社に奉ったとあり、『三代実録』貞観元年(859)四月の条に「従四位下法花寺坐神従四位上」とある外、「延喜」の制では大社として月次・相嘗・新嘗と出ている。
 延宝九年(1681)の『和州旧跡幽考』の楊梅宮の項に「法華寺西南辺に楊梅の天神という社あり。此のほとりにや。楊梅の宮をたてゝ天皇うつり給ふて後、五位以上を宴し給ふよし、くはしくは『続日本紀』にあり」と、光仁天皇の宝亀四年(773)二月完成したという楊梅宮は天神社のほとりではないかといっている。 「楊梅」を転じて「桜梅」となったとみられ当社を桜梅天神ともいう。
 例祭は十月十日。