宇良神社 京都府与謝郡伊根町本庄浜 式内社(丹後国与謝郡 宇良神社)
旧・郷社
現在の祭神 浦嶋子
[配祀] 月読命・祓戸大神
本地
浦嶋子聖観音薬師如来
右脇浦嶋太郎毘沙門天
母御前阿弥陀如来
左脇竜女十一面観音
今田三郎薬師如来
末社曽布谷二郎地蔵菩薩

林晃平「翻刻『浦鳥太郎一代記』 ―在地伝承の新資料の紹介と解題―」[PDF]

翻刻

浦蔦の事とは丹後國与謝郡筒河の荘に浦嶋太良曽布谷治良今田三良と号して兄弟二人あり 其太祖は月讀の尊也 浦蔦太良は苗裔なり領主たり されば二弟皆子あり兄太良に子なくして夫婦共に是を悲しむの事年久しく是によりて精進潔斎して天帝に祈る 天夢中に告而曰 汝に天然の子を与ふべし悲む事なかれと言て直に遁去りぬ 夢さめて太良夫婦甚だ是を悦びける所に或時城外に出て遊び玉ふ折節大石の上に小児の立るを見るに容顔美麗にして世人にすくれたり 汝何國の所の人誰人の子成るぞや 小児答て曰 我は親なく又住所もなし 然らば汝我と親子の契約をなすべしとて其子を名付て嶌子と言ふ 太郎夫婦甚だ寵愛して養育せり
[中略]
或時小舷に梓をさして水江の湖中白鷺が崎瀧穴の邊に釣をたれて遊ぶ 或時一つの龜を釣る此龜忽に美婦人と成る 嶌子驚き汝は何れの所より来ると告 美人答て曰 君は外界の地仙と成たゞ水江の岸に遊ぶ我は天仙と成て蓬莱の宮中に生れ君と我と前世の宿縁ある今より後夫婦と成て共に蓬莱に遊ぶべし
[中略]
嶌子心中に古里父母の事を思ふて其顔色外に顕る 神女間て曰 蓬莱遊楽君何ぞ不足成るや 嶌子答て曰 神女と我と宿縁あるに今夫婦と成る然ば我何ぞ父母を忘れんや 神女感心して曰 誠成るかな君一先古郷に帰り来り玉へと蓬莱の仙宝玉匣を嶌子に授て曰 君我と再會せんと思ば此匣を開き見る事なかれと言ふ 嶌子の曰 我父母に逢て後蓬莱に帰るべしとて小舷乗じて一睡の夢の中に水江里龍穴の邊に着岸して四方を詠るに水江の里忽に変じて陸地と成る只違さる者は山の容み斗なり
[中略]
浦蔦の御在世は人皇二十代雄略帝の御宇なり 今時は五十三代淳和天皇年号は天長二年なり 其問年数を考ふるに三百四十餘年なりと言
[中略]
此匣を鍼をとき開き見れば紫雲匣の内より出て蓬莱をさして飛去りぬ 嶋子三百四十餘歳の童子たりされとも即時に白髪と老翁と成る
[中略]
其後老衰日々夜々に重り永く世上に住へきにあらずと小室構へ寂然として神と成玉ふ 時に淳和帝彼奇妙を叡聞し玉ひ大臣武将国司に勅して宮殿を造り鎮座せしめ奉り 夫より祭禮怠事なく浦嶌の子の社筒川の大明神と仰き奉る者也
[中略]
   浦嶌五社
同次 母御前本地阿弥陀如来
左脇 浦蔦太良本地毘沙門天王
本社 嶌子本地正観自在菩薩
右脇 今田三郎本地薬師如来
同次 竜女本地十一面観世音
外ニ曽布谷次郎本地地蔵菩薩
是ハ別社鎮座也

解題

 浦島伝説の伝承地の中でも、丹後の伊根町本荘浜には、鎌倉時代を遡ると思われる浦島太郎を祀る神社、浦嶋神社(宇良神社)が存している。 この神社には、重要文化財の縁起絵巻のほかいくつかの縁起を有し、また神社周辺には在地の独自な伝承も存するその中で注目されるのが、「浦鳴子口伝記」というきわめて在地性の強い縁起である。
[中略]
 縁起の所有者であった来迎寺は、江戸時代には別当寺として神社に隣接して存在し、縁起その他を含めて神社を管理していた寺であったと思われる。 しかし、明治の神仏分離以後、神社近くの別の地に移り、なお現存するが、現在は神社との関わりは薄い。 ここに挙げられた五つの仏像については未調査で、また手がかりも今のところない。 また、神仏習合したこの頃の信仰の実態もはっきりとはしていない。

「日本の神々 7 山陰」

宇良神社(山路興造)

 現社名は『延喜式』神名帳によるもので、地元では浦島神社・浦嶋大明神、あるいは中世に筒川庄(筒川保)の鎮守神とされたため、筒川大明神などと呼ばれている。 旧・郷社。
 祭神は浦島子。 江戸時代中期の『丹哥府志』には「浦島太郎・曽布谷二郎・伊満太三郎・島子・亀姫」とある。 曽布谷二郎・伊満太三郎は浦島太郎の弟といわれ、また太郎に子がなかったので天に祈願して得た男の子が島子で、この島子が亀を釣り、その亀が姫と化して竜宮に島子をつれていくというのが当時の伝説であったらしい。
[中略]
 宇良神社には近世末まで神宮寺があった。 平野山来迎寺と呼ぶ真言宗の寺で、現在は本庄宇治の山際に移転している。 中世の浦島伝説にはこれら真言宗寺院の関与が濃厚である。 たとえば『元亨釈書』巻十八には次のような説話が載っている。 すなわち、丹後国余佐郡の人如意尼は淳和天皇が皇太子のとき夢告によって見出されて妃となり、のちに辞して尼となったが、天長元年(824)に空海が西寺の僧守敏と祈雨の験を争ったとき、空海は如意尼の持っていた篋を借りて秘法を修し雨を降らせた。 水江浦島子は如意尼と同郷で、蓬莱の仙郷に数百年以前に渡り、祈雨争いの翌年に帰郷したという。 ここでは尼の篋と浦島子伝説とが直接には結びつかないが、如意尼の篋は浦島子の玉手箱を想わせる。 おそらくこの説話も、丹後半島の沿岸が仙郷への出入口と考えられていたことを物語るものではなかろうか。
 現在、宇良神社には「永仁二年甲午八月廿四日 於丹州筒川庄福田村宝蓮寺如法道場依難背芳命不顧筆跡狼籍馳紫毫了」と巻末に記された「続浦島子伝記」の一部(前欠で八葉が一巻となる)と、南北朝の作で重要文化財の「浦島明神縁起絵巻」一巻があるが、「続浦島子伝記」は『続群書類従』が全部を所収する「続浦島子伝記」の原本で、神仙思想が濃い。 「浦島明神縁起絵巻」は古い姿の浦島子伝説を美しく描き、最後に当社の祭礼の様子を描いている。 また絵巻の内容をそのまま掛軸にしたものが一軸伝えられており、これを使って古くは絵解きが行われた。 絵巻より少し時代が下るが、中世末期の作品と思われる。 なお、以上のものとは別に「浦島子縁起」と表題する一巻があり、これには筒川大明神の本地仏である薬師如来の利生譚が記されている。