若狭彦神社 福井県小浜市龍前 式内社(若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座[名神大])
若狭国一宮
旧・国幣中社
若狭姫神社 福井県小浜市遠敷
現在の祭神
若狭彦神社(上社)若狭彦大神(彦火火出見尊)
若狭姫神社(下社)若狭姫大神(豊玉姫命)
本地
一宮(上宮)薬師如来
二宮(下宮)千手観音

「若州管内社寺由緒記」

霊応山根本神宮寺は元正天皇之勅願寺也。 和同年中に山上に雲起り雲中に鈴之音有り。 国民あやしむ。 粤に沙門滑元鈴之音に感して、此地に而修練す。 七ヶ日を歴て、当山岩之上に鈴幡降る。 神名帳に長尾明神有り。 其鈴当寺之宝物として今にこれ有り。 古老之説に鈴は神魂也。
一 上下宮垂迹之後、滑元薬師并千手観音二像を安置して本地堂を建立す。
一 上下二神は当国之鎮守、神宮寺は二神之本地、国家之霊場、一州之根本也。 故に神願寺を改て根本神宮寺と号す。
一 養老年中、比吉神之祝部私赤と云者、比吉神之告に依りて伽藍を建立す。 神願寺是也。 元亨釈書に見へ申候。
一 比吉神は上下宮之惣名也。 吉田卜部神名帳に曰、若狭国比古神社二坐有、一宮は彦火々出見尊、二宮は豊玉姫命なり。
一 当寺本尊薬師仏は往古焼失仕候。 延暦年中に空海製作有り。 千手観音之像は、寛文二年之地震に壊仕候。 同三年寺僧再興仕候。
[中略]

若狭国鎮守一二ノ宮縁起
一宮(号上宮) 元正天皇御宇霊亀元年(乙卯)九月十日、 当国遠敷郡西郷内霊河之白石之上始テ垂跡坐。 其形俗躰而如唐人、乗白馬居白雲。 今若狭彦大明神是也。 眷属八人之内、有持御剣童子一人、謂節文。
於当郷多田嶽艮ノ麓、架草宿、蓋椙葉為仮御在所。 是而歴七箇日、遂促龍駕遍覧郡県、択神館之地計霊祧之堺、 然而帰本所、以為勝区。 奇瑞奥甄一暮生数千株之杉木、正殿始祐永代奉安大明神之霊体、 於最初仮殿跡建立精舎。 今号神宮寺矣。
次二宮、 同御宇養老五年(辛酉)二月十日、以前霊石上始坐。 其形女躰如唐人、同乗白馬居白雲。 今若狭姫大明神是也。 眷属八人亦在之。 節文同参向。
即於当山麓別建立社壇、奉安之。
彼二神盟約曰、以節文子孫永為社務神主、一代為神一代為凡、以笠字可為氏姓。 迄于後世罔改此儀云々。 然後節文、天平神護二年(丙午)、 忽彰神霊号黒童子神、子孫奕世為社務官。
改故老相伝曰、 一宮者天照太神彦火火出見尊顕化也。 二宮者同太神姪豊玉姫応化也。 亦謂、節文ハ同出見尊顕孫彦五瀬命垂跡也。 本地宮毘羅大将云々。
然則被成下正一位勲三等若狭姫大明神綸旨、為一州三郡之鎮守。
一宮者本地薬師如来、故有十二夜叉之神将。
二宮者本地千手観音、故有二十八部之使者云々。