和爾賀波神社 香川県木田郡三木町井戸 式内論社(讃岐国三木郡 和爾賀波神社)
旧・郷社
現在の祭神 豊玉比売命
[配祀] 玉依比売命・八幡大神・息長足姫命(神功皇后)
本地 阿弥陀如来

「木田郡誌」

郷社 鰐河神社[LINK]

由緒 当社を鰐河神社と称する所以は、全讃史及社記に太古海神之長女豊玉姫命来于山田郡潟元村浦生鸕鷀草葺不合尊因号其地曰浦生遂化鰐魚隨流沂而至四條因号鰐河立祠奉之謂鰐河神社とあるによる。 又応神寺記録に、聖武天皇の御宇、行基諸国遊歴の砌、此の里に逗留し、夢に神童鰐魚に乗り新川を沂り四條川に来り、告げて曰く、当地は諸神諸仏遊戯の地也、願くは師一宇を建立して一神と薬師如来を安置せよ、とありて夢覚めたり。 然るに、行基前日浦生にて明神の社を拝しかゝる人家稀なる海浜に奉祀するは、最畏き事と思ひ居りし折なれば今不思議に神夢あること正しく此の神の告賜ふならんと、この地に吉祥山瑠璃光院応神寺と、鰐河神社とを創建せし由見えたり。
然るを以後高岡八幡宮と称するは極楽寺記に延喜七年四月明印神前・高岡八幡宮を勧請して一郡一八幡の始とせるに始まるか、即ち讃州府誌に延喜七年四月の勧請なり。 延喜式所載讃岐二十四座の一にして郷社なり。 俗に四條八幡と称す。 応神寺其の祭を主るとある所以にして此の時醍醐天皇より本地仏金像阿弥陀仏三体並に神剣柄奉納あり、又社領も数町御寄附ありたりと。
又名勝図絵には往古当社内陣へ和爾賀波の神躰を納め置きし事ありと古老いへりとあり。
[中略]
明治維新神仏混淆分離の際上記本地仏、金像阿弥陀仏は当村願勝寺に、薬師如来は応神寺廃寺となりて井戸村真行寺に預けられたり。