鷲宮神社 埼玉県南埼玉郡宮代町西粂原 旧・村社
現在の祭神 天穂日命・武夷鳥命
本地 釈迦如来

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

鷲宮神社

  宮代町西粂原660(西粂原字立野)

歴史

 『風土記稿』粂原村の項によれば「鷲明神社二宇 いずれも村の鎮守なり、一は明智寺持、一は大聖院持なり」と、二つの「鷲明神社」が記載されている。 これは、西粂原と東粂原で、別々に鷲明神社を鎮守として祀っていたためで、そのうち明智寺持ちの「鷲明神社」が当社のことである。
 一方、『明細帳』を見ると、当社の由緒について、「古老の申伝に当国鷲宮の神を遷座すと云ふ」との記述がある。 これについては、天正十八年(1590)の「北条家印判状」に「三貫文岩付領久目原之内」が鷲宮神社(現鷲宮町)の社領として北条氏から安堵されていることや、その鷲宮神社の社伝にも観応二年(1351)に足利基氏によって久米原等十八か村が社領として寄進されたとあることから考えると、この地は古くから鷲宮神社の社領があり、当社はその社領に祀られた神社であった可能性が高い。 また、戦国期の成立とされる「市場之祭文写」には「武州大田庄久米原市」と見え、当時既に当社がこの地に祀られていたものであろう。
 当社の祭神は天穂日命と武夷鳥命であるが、境内には「鷲宮本地釈迦牟尼仏」と刻んだ安永二年(1773)五月に矢部角右衛門ほか講中三十人が奉納した石祠がある。 このことから考えると、神仏分離が行なわれるまでは、釈迦如来を本地仏として祀っていたと思われる。