鷲神社 埼玉県羽生市下村君  
現在の祭神 天穂日命・武夷鳥命
本地 文殊菩薩 弥勒菩薩

「新編武蔵風土記稿」巻之二百十五
(埼玉郡之十七)

下村君村

鷲明神横沼明神合社

村の鎮守なり、 社地は少く高ふして且古杉繁し、いとものふりたるさまなり、 相伝ふ当所は村君王子と云人の住せし地なれば、後年村名にも唱へ、又其霊を祀りて経江明神と号せしに、後故ありて鷲明神と改め称すといへり、 されど村君王子のこと未だ他に考る処なし、 或説に景行帝五十六年八月、御諸別王に詔して東国を治めさせ給ひし事ありて、樋遣川村三室社は、御諸別王の霊を祀りし社なりと伝ふえば、当村に彼神孫住せしといはんも據なきことにはあらじといへり、
[中略]
又横沼明神は御諸別王の息女を祀る所といへど、是も定かなる據をきかず、 例祭十一月上の申日樋遣川村三室社へ神輿を渡し、その時榊に神鏡をかけ、別当馬上にて是を持、 又巫女一人馬に乗て蒸飯一駄を斎せゆくを例となせり、 榊に掛る神鏡の銘によれば、鷲明神と改め称すは近き世よりのことゝ見えたり、 其図上にのす、[図略]
末社 弁天 磯部太神宮
本地堂 鷲明神の本地仏文殊を安ず、経江明神と号せし時は、弥勒を本地とせしと云、
別当成就院 新義真言宗、堤村延命寺末、鷲山文殊寺と号す