「箭幹社八幡記」
武州多麻郡小山田領総鎮守木曾駅箭幹社八幡宮、今所安置御垂跡、応神天皇御座像者、渋谷金王丸本命守護之霊像、而未詳何人之所作也。
邃古所奉之神躰者今渋谷八幡宮也。
本地阿弥陀如来者、南都之時、瀧門寺義淵僧正、為求菩提直路参籠春日社、而夢中所授之霊像也。
「新編武蔵風土記稿」巻之九十
(多磨郡之二)
木曾村
矢幹八幡社
社地二町四方、其余田二段九畝十一歩、倶に除地なり、
小名矢部にあり、
昔木曾某と云もの始て建立せしと云、
造立ことなりしとき、其羽箭を以て屋上にさしゝによりて矢幹の名ありと云のみにて、その年代をつたへず、
もと近郷の惣鎮守なりしが、今は当村と根岸両村のみ鎮守とせり、
例祭八月十五日、神輿を村中へわたし且社前にても神事を行ひて土人尤も群聚せり、
隨身門 四間に三間、隨身の木像長二尺、前に石階あり、
本社 申の方に向ふ
宮作にて覆屋あり、三間に四間、
神体は長八寸ばかりの像なり、
本地弥陀
これも木の立像にして長一尺許、
拝殿 三間に五間、本社の前にあり、その間三間余
拝殿より前に石階あり、それより拝殿まで十五間ばかりの間すべて甃なり、
鐘楼 隨身門に向ひて右の方にあり、九尺四方
鐘の銘あり、
[中略]
鳥居 隨身門の正面にして、鐘楼を隔ること一町ばかり、
片葉松 隨身門の内にあり、門より七間ばかりの間甃にして、そのさきに石階あり、
この松はその側にあり、囲六尺ばかり、石階の上へ垂し枝あり、枝に生る葉丸くして一茎なり、
その余はみな常のごとく双生の葉也、
別当覚円坊 除地、五畝十一歩、本村にあり、京都聖護院末、本山修験の触頭なり、
[中略]
神輿堂 境内にあり、六尺四方にして茅葺なり、八幡の神輿をこゝに納む