山倉大神 千葉県香取市山倉 旧・村社
現在の祭神 高皇産霊大神
[配祀] 建速須佐男神・大国主神
本地 他化自在天

「平成祭データ」

山倉大神御由緒

<御由緒>
宮柱の創建は、第五十二代嵯峨天皇の弘仁二年(西暦811・今から1180年前)辛卯の霜月(旧暦十一月)初卯の日である。 社伝によれば弘仁二年のころ、この地方に悪病が大流行して人々が苦しんだ折に、霊験あらたかな御祭神を勧請(神の霊を迎えて祭ること)して熱心な祈祷の効あり、病魔はようやく退散した。除疫利民(悪い病気から人々を救うこと)が創建の目的であった。
明治維新まで神仏習合(混淆)の時代が長く続き、山倉山観福寺の御本尊大六天王が本地仏として一緒に祭られ、その住職が別当(本官のほかに他の役職を兼ねること)として今でいう宮司の職にあって、采配をふり、山倉の大六天として広く世に知られてきた。
明治二年(1869年)五月二十四日、神仏分離令により大六天王が、別当観福寺へ遷座されたのを契機に御祭神を明らかにし、地名をもって社号として「山倉大神」と改められた。 拝殿中央の大六天王宮の額は文政九年(1826年・165年前)嵯峨御所寄進と伝えられる。