詳らかではないが伝説によると鎌倉時代の建久六年、那須福原の城主那須四郎久隆は法印源空というものに福原城の鎮守として不動明王を祀らせたのが縁起であつて、以来近隣の信仰厚い両部の社であつたが明治初年神仏分離によつて日本武神社と命名し今日に至つている。