山津照神社 滋賀県米原市能登瀬 式内社(近江国坂田郡 山津照神社)
旧・県社
現在の祭神
山津照神社国常立尊
摂社・青木神社藤原時長・藤原利仁・藤原叙用・藤原吉信・藤原伊伝
本地
青木大梵天王聖観音
青木大明神金胎両部大日如来

「近江国輿地志略」巻之七十九
(坂田郡第二)

青木大梵天王社[LINK]

〇青木大梵天王社  能登瀬村にあり。 往古は大社にして、青木の氏神たり。
[中略]
当社に神記なし。 近頃京西の僧鳳潭略記をしるす。 心得がたきこと多しといへども、後考の為後に記す。 大梵天王の名を称して、両部の神社とす。 歎惜すべし。 祭礼毎年四月五日。 青木大梵天王本地正観音菩薩と云。 正一位青木大明神本地金胎両部大日如来と云。 別当平尾山本願坊善性寺。 臣按ずるにある記に曰、山津照神社は能登瀬村にあり。 今土俗青木大梵天王と号する是なり。 亦一説に云、柏原にある処の青木明神の社山津照神なりと云云。
[中略]
鳳潭が記に曰、江州琵琶湖の東坂田郡に山あり。 大光山と号す。 右は余呉を襟とし、寺は姑蘇寒山に擬す。 左には伊吹山を峙、腰には長湖を抱き帯、実に鐘霊の腴区たり。 青木五社の総廟闕正中に巍然たり。 諸を旧籍に稽に、第一社は青木の大祖正一位鎮守府将軍武蔵守時長なり。 其先は乃大織冠鎌足公の七世正一位越前守藤原高房公の男なり。 母は藤の真夏卿の息女なり。 第二社は鎮守府の将軍武蔵守正二位利仁なり。 勲績天下に聞ゆ。 これより已降子孫みな藤原武門の嫡葉と称す。 是に繇て後代祭祀の時、必群国の藤家武族をして執礼の儀を司どらしむ。 第三社は武蔵守正一位青木新宮大明神の廟と号す。 第四社は武蔵守吉信青木新宮第二大明神の廟なり。 第五社は伊伝武蔵守正一位青木新宮大明神なり。 以上凡五代なり。
[中略]
十三世武蔵守頼忠に至る。 後鳥羽院親ら衣服の紋を賜はる。 建久某の年勅を蒙り城を近江の甲賀郡に遷て、これに居れり。 文治の初鎌倉の将軍権を握の日、頼忠が姓を改て源氏とす。 頼忠仏を念じ薙髪して龍山と号す。 一日箕浦河の辺に遊び、忽正観音石上に降臨するを感す。 一たび瞻て驚喜にたへず。 夙縁の致すところ篤く信仰して、更に営造することあつて、此山下に勧請す。 朝に奏するに及で勅して青木大梵天王と称し、青木五社惣廟の右に配合す。 遂に頼忠没後に至て、勅して天海大僧正の号を諡としたまふ。 今坂田郡大光山青木の祖廟は実に是なり。
[中略]
蓋又聞旧家大雄氏の説に依ときは、其青木神廟は本是金胎不二毘盧遮那の応迹なりと。 青木梵王は即蓮花部観音薩埵の示容なりと。