八宮神社 埼玉県比企郡嵐山町越畑 旧・村社
現在の祭神 応神天皇
[合祀] 木花開耶姫命 <浅間神社>・大雷神 <雷電社>・天照大御神 <神明社>・倉稲魂命 <社宮司社>・大山祇命 <山神社>・櫛八玉神 <八大社>
本地 毘沙門天

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

八宮神社

  嵐山町越畑1445(越畑字日向)

歴史

 県指定無形文化財の獅子舞で知られる当社の由緒は、『明細帳』に「勧請人皇四十七代聖武天皇ノ御宇ト申ス其後承平年中経基公関東征討ノ折ニ祈願シ遂ニ八ヶ所ニ是ヲ祭ルト云フ」と記されている。 祭神は『明細帳』や『郡村誌』では応神天皇とされているが、それは、当社の由緒に源経基が出てくることから、源氏の氏神である八幡神社の祭神を祀ったものと推測される。

信仰

 『風土記稿』越畑村の項には「八宮社 村の鎮守なり、別当 観音寺 天台宗、中爪村善光寺の門徒なり、八宮山多門院と云、本尊正観音は慈覚大師の作なり、長二尺許、開山憲舜延宝六年(1678)十月七日寂す」とある。 観音寺は、神仏分離により廃寺となったが、同寺が「中爪村善光寺の門徒」であることは注目できる。 というのは、中爪にも八宮神社が鎮座しており、当社と同様に本地仏として毘沙門天が祀られていたからである。 また、毘沙門天は、多聞天の別称で、多門院の号はそれに因んだものと思われる。
 当社の毘沙門天像の底部には、「元文元年(1736)九月十七日 越畑 観音寺 第四世阿闍梨翁慶法印代」の墨書があり、本殿の壁には「寛政元歳己酉(1789)龍集四月大吉祥日 奉修本地毘沙門天王八宮大明神維新造立之有也 敬白」と記した棟札が打ちつけてある。