安良神社 鹿児島県霧島市横川町上ノ 旧・郷社
現在の祭神 安良姫命
本地 観世音菩薩

「三国名勝図会」巻之四十一

正一位安良大明神社[LINK]

中之村にあり。 奉祀安良姫一座とす。 当社の正面に安良大明神五字の額を掲ぐ(吉田兼連筆)。 享保十九年、五月十三日、神祇道管領卜部兼雄、正一位の神位を授けられ。
社説并に当郷中の口碑に、往古安良姫は、京都の官女にて、或時川辺へ出て、紺染の直垂を洗ひしに、白鷺許多飛来しを、眺望して覚へず、直垂の片袖河水へ流失たり。 其罪に依り、穢多に命して門の扉に縛り付、炭火にて焼殺さる。 然るに彼姫素より十一面観世音を信仰ありし故に、観音其身代になり、安良姫は其難を遁れ、隅州横川に落下り、安良嶽の絶頂にて自殺す。 此後種々の霊怪ありければ、土人其霊を崇めて安良大明神と号す。 是和銅三年の事なりとぞ。 当社は今安良嶽の下に鎮座せり。 初めは安良嶽の絶頂にありしとて、宮床といへる旧蹟残れり。
前文の由緒なりとて、往古より当郷の地は門を立ず、炭焚、紺屋職、藍作職を禁ず。 是に背く者あれば、霊祟を受ること歴然なりといふ。 且白鷺当郷の内に飛来ることなく、若飛来ることあれば、神楽奉幣等を修行す。 又此神は、鷺に限らず一切白色の物を嫌ひ悪めるとて、土倉等も薄墨を以て塗れり。 此百年以前は祭祀又は参詣の時、紺染の衣を着れる者なく、皆木皮にて染たるを用ひたりしに、何となく今は紺染を用る俗になれり。 炭火門屋を禁ずることは旧俗なりしに、享保十九年、正一位贈位の時より、郷内屋門作り、炭焼の事を免許ありしかども、屋門は、祀官并に祈願菩提の両寺のみ造立し、其余の家は、今に門柱のみなり。 炭火は古来厳禁にて、茶製に至り、日乾茶を闔郷用ひたりしに、今は焙爐茶を用ゆる者過半ありとなり。
康応二年、藤内左衛門正智、貞永五年、左兵衛尉藤原長親、応永二十九年、酒井親久、宝徳二年、酒井久重等、修復の棟札若干を蔵む。 祭祀九月二十九日なり。 華表の前に田地あり。 此所に茅葺の仮殿を構へ、神輿を舁き下る。 是を浜殿降りと号す。 当郷の宗廟なり。 社司月野木宇治。
○諸末社 大王社、△山神社、 以上の両社、当社の庭にあり。
○腰越神社 上之村にて、安良神社より寅卯の方、十町余にあり。 安良姫の母堂を崇めたりといふ。

安良山来福寺真乗院

中之村にあり。 本府大乗院の末にして、真言宗なり。 本尊十一面観音大士(木立像、尺九寸)。 開山の僧名は伝はらず。
当寺より南の方に、安良大明神本地の観音あり。 当寺より管轄す。 其蓮華座に、来福寺新像作者正椿、永正六年云々の記文あり。 然れば此寺の創建は、久遠なること知るべし。 安良山の号あるを以て見れば、往古は安良神社の座主にてもありしにや。 今は彼社に預かることなし。 当郷の祈願所なり。