「近江栗太郡志」巻四
安羅神社は笠縫村大字野村に鎮座す、
祭神素盞烏尊、速佐須良比売命、天満天神なり、
社伝によれば慶運元年三月牛頭天王此地に降臨影向あり国司奏して神籬を立つ此れ当社の創なり、
後ち興国五年三月鈴鹿より速佐須良比売命と天満天神とを勧請合祀す、
永禄年中野村丹後守高家社殿を修造して武運を祈ると見ゆ、
[中略]
古来境内に大日堂あり即ち本地堂なり
「草津市史」第1巻
野村会館安置の大日如来坐像は、野村町の鎮守である安羅神社の境内にあった大日堂の主尊で、安羅神社のかつての本地仏であった。
「日本の神々 神社と聖地 5 山城・近江」
安羅神社(小栗栖健治)
なお、野村村の安羅神社の祭神は素盞烏尊・速佐羅良比売命・天満天神で、社伝によると慶運元年(704)三月牛頭天王が降臨影向し、興国五年(1344)速佐須羅比売命・天満天神を勧請して合祀したという。
本地堂として大日堂があり、平安時代後期の造立による木造大日如来坐像が本地仏として祀られていた(現在は公民館に安置)。
「かみとほとけのかたち: 湖南地方を中心とした神像と本地仏の世界 企画展」
大日如来坐像 一躯
草津市 野村町
木造 像高63.4
平安時代(十一世紀)
安羅神社の境内にあった大日堂の主尊で、安羅神社の本地仏である。
なお、草津市穴村に安羅神社、栗東町十里に小安羅神社が鎮座しており、この一帯が『近江注進風土記』に名勝という安良郷に比定されると推測されている。
法界定印を結ぶ大日の頭体幹部は両腰脇を含めて竪一材から彫りだされ、内刳はない。