与位神社 兵庫県宍粟市山崎町与位 式内社(播磨国宍粟郡 与位神社)
旧・村社
現在の祭神 素盞嗚命
[合祀] 稲田姫命 <子勝神社>
本地
与位大明神普賢菩薩
子勝大明神文殊菩薩

曽根研三「伊和神社史の研究」

第三 沿革と崇敬(播磨守護職崇敬時代)

応永二十七年に削定した縁起引用の伊和講式に見えた習合思想は当代本地垂迹の跡を詳説した記録と考へられる。 即ち伊和三社大明神(本社および与位・子勝の両社)は中央の鼻崎山(花咲山・宮山の誤)に白色、東方の祝倉山(白畑山)に黄色、西方の高尾山(高畑山)に青色の日輪現れ、昼夜国中に光り諸人群集したので、伊和恒雄三山に奉幣して三光は宜しく末代衆生の為めに化度し、和光同塵に御形を成せと祈請した。 其時三光一に混同して瑪瑙の大石となり、託宣を降して我は霊山浄土の釈迦如来、今は白色の和光を示現した伊和大明神で、黄光は普賢菩薩で与位大明神と現れ、青光は文殊師利菩薩で子勝大明神と垂迹し、国中一百余社の上首、日本十三﨟九万余神の大将である。 しかも異国の軍兵我が朝辺土を侵す時は一宇両社の大将(本社・与位・子勝の三社)として一人当千の威を振ふによつて、数千万の敵兵は万死に一生の色を帯びた。 かゝる事すべて八度に及んだ故に徳は則ち勲八等、勝軍勝敵の位は正一位となり、護国護民の作用は降伏魔死の剣であると同時に増長寿福の珠となる。 その上与位の本地普賢菩薩は真如の理王、子勝の文殊師利菩薩は実相の智母で、本社の本地釈迦如来の左右二観の法門となつて釈迦定恵、平等世尊の理智は二菩薩の中に現れ、伊和の内証伊は伊の字で一心を示し、和は和融の字で三諦三観を意味し、一心一念の徳用は妙法蓮華経の正体である。
明治42年9月5日、子勝神社を与位神社に合祀。