吉野水分神社 奈良県吉野郡吉野町吉野山 式内社(大和国吉野郡 吉野水分神社[大 月次新嘗])
旧・村社
現在の祭神 [中殿] 天水分神
[右殿] 天万栲幡千々姫命・玉依姫命・瓊々杵命
[左殿] 高皇産霊神・少彦名命・御子神
本地
子守明神地蔵菩薩(勝軍地蔵)阿弥陀如来胎蔵界大日如来
(各別)僧体阿弥陀如来
女体地蔵菩薩
俗体十一面観音
若宮阿弥陀如来文殊菩薩大勢至菩薩
三十八所千手観音十一面観音聖観音
如意輪観音阿弥陀如来大勢至菩薩
胎蔵界大日如来・金剛界三十七尊金剛界大日如来

「両峯問答秘鈔」[LINK]

(七十三)
問云、子守・勝手・金精大明神・三十八所八大明王等、悉自月氏至日域垂跡、云云。 然者於天竺者如何。
答云、如縁起者於霊鷲山守護四方角護法也。 而鷲峯檀徳飛来之時各随来、云云。 先子守者、未申護法也。 宗慈哀衆生如一子(本地地蔵)。 次勝手者、辰巳護法。 慕悪相払四魔、八大龍王振威破怨敵(本地毘沙門)。 次金精大明神者、艮護法(本地大日)。 次三十八所八大明王戌亥護法(本地十一面)

「金峯山秘密伝」巻上

子守明神本地垂跡の事

次に子守明神者地蔵薩埵の垂跡、同塵三昧に入り跡を当山に垂。 此を号して子守明神と為る也。 此れ即女体の神勝手大明神の所妻也。 身に七珍宝衣を着す。 即左の手の宝珠は衆生の所願を満。 右に天扇を執て国土の災難を払。

若宮明神本地垂跡の事

次に若宮明神姫者此阿弥陀如来の垂跡也。 今子守姫神と為、即済生の益を施す也。 童女の相を現て七宝の衣を着、双手に弓を執て愛金剛の女相を表。

三十八所本地垂跡の事

次に三十八所は即子守明神所生の若宮の兄弟なり。 或は行者神山に於て日本国中の三十八所の大神を勧請、悉地を祈り所願を成して、八幡賀茂春日熊野等光を并て本誓を同す、共に護国の益を於也。 今即三十八神合して一所に崇ぬ。 本地は即千手、垂跡は一身を分つ多身と為る。
[中略]
甚秘の伝に云。 千手は即四十臂の尊合掌して即能変の本身と為。 余の三十八臂は即三十八所の神体也。

同巻下

当山諸神本地異説ノ事

勝手大明神 本地多聞天。一説には大勢至菩薩。
同若宮 本地文殊師利菩薩。一説に不動明王。
子守大明神 本地地蔵。一説には阿弥陀如来
同若宮 本地阿弥陀
三十八所 本地千手観音。一説には十一面。秘密は胎蔵大日也。一説には金剛界三十七尊也
金精大明神 本地金剛界大日。
佐投明神 本地地蔵菩薩。
雨師大明神 本地如意輪。醍醐寺青龍権現と同体云々。或は十一面観音。
天満(北野) 本地十一面。
牛頭天王 本地薬師如来。

「金峯山創草記」

諸神本地等

金剛蔵王(過去釈迦、現在千手、未来弥勒、或云大日、或云地蔵)
役行者(不動) 義学(阿弥陀) 義賢(弥勒)
天満天神(十一面)
佐抛(地蔵)
勝手大明神(縁起云、霊鷲山辰巳護法蔵王権現、大聖文殊垂迹云々、或云得大勢、或云不動、或云毘沙門)
矢護若宮(文殊)
大南持(薬師)
八王子(十一面)
子守三所権現(僧体阿弥陀、女体地蔵、俗体十一面、或云胎蔵大日云々)
三十八所(無量寿、或云金剛界三十七尊并胎蔵大日、或子守胎蔵大日、三十八所金剛界大日、或聖観音、或云如意輪観音、或云大勢至)
若宮(文殊、或云大勢至)
牛頭(薬師)
金精大明神(霊鷲山丑寅護法阿閦仏、或云釈迦、或云金剛界微細会大日)

首藤善樹「金峯山寺史」

子守社

 子守社は八王子社の上、城橋の下方に位置する。 金峯山一山において勝手社と双璧をなす大社。 水分神社、子守宮、上宮、上御前ともいった。 八社明神の一つ。 もと水分山(青根ヶ峯)の分水嶺の神であったとされ、ミクマリ(水配)がミコモリ、ミゴモリなどとなり、やがてコモリになったとされる。 水分山は「万葉集」に 「神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも」 と詠まれている。 そして早く「続日本紀」文武天皇二年(698)四月二十九日条に 「馬ヲ芳野水分峯ノ神ニ奉ル。雨ヲ祈レハナリ」(原漢文)とある。 相当古くから水分山に水の信仰のあったことがわかる。 また「延喜式」吉野郡十座のうち筆頭に「吉野水分神社(大 月次新嘗)」とある。 また「延喜式」記載の祈年祭祝詞に 「水分坐皇神等能尓白久、吉野、宇陀、都祁、葛木登名者白弖」 とある。 「枕草子」にも「みこもりの神、またをかし」とある。
〔元の社地〕 元の地について宮坂敏和は 「太古は吉野水分峯(青根が峯)の北斜面中腹に現存するヒロノの元水分神社伝承地(林政之助氏所有地)に祭場があったのを、吉野山における修験の展開過程から考えて遅くとも平安中期ごろには現在地に遷座されていたと思える」 と言っている(『吉野路案内記』)。
〔祭神と本地〕 「金峯山秘密伝」は 「子守明神トハ地蔵薩埵ノ垂跡」 「此レ即女体ノ神、勝手大明神ノ所妻也」 とし、 「身ニ七珍宝衣ヲ着ス。即左ノ手ノ宝珠ハ衆生ノ所願ヲ満シ、右ニ天扇ヲ執リ国土ノ災難ヲ払ウ」 とする。 また若宮明神姫は弥陀如来の垂跡で子守姫神といい、童女の姿で七宝の衣を着し双手に弓を執り、愛金剛の女相を表すという。 さらに三十八所は子守明神所生の若宮兄弟で、護国の神であり、三十八神を合わせて一所に祀り、本地は千手とある。 「金峯山秘密伝」中の御嶽曼荼羅の外周右方中央に示され、若宮はその下、三十八所は上に示されている。 なお本地の異説として子守明神は一説に阿弥陀如来、若宮は阿弥陀、三十八所は一説に十一面、秘密は胎蔵大日、一説には金剛界三十七尊とある。 なお、「金峯山秘密伝」中の「子守本地供次第」に 「変シテ勝軍地蔵ト成ル」 とあり、本地は具体的に勝軍地蔵と見なされていたことがわかる。 勝手明神と子守明神が夫婦神とされると同時に、本地は勝敵毘沙門・勝軍地蔵と併称される軍神だったのである。
「両峯問答秘鈔」は 「子守・勝手・金精大明神・三十八所の八大明王等、悉く月氏より日域に至って垂跡」、 「子守は未申の護法なり。慈哀を宗とし衆生一子のごとし。本地地蔵」 とし、また 「三十八所の八大明王戌亥の護法なり。本地十一面」(原漢文) とする(修験道章疏所収)。
「金峯山創草記」は 「子守三所権現 僧体阿弥陀、女体地蔵、俗体十一面。或云胎蔵大日云々」 とし、 「三十八所 無量寿。或云金剛界三十七尊并胎蔵大日云々。或云子守胎蔵大日、三十八所金剛界大日。或聖観音、或云如意輪観音、或云大勢至」 「若宮 文殊。或云大勢至」 とする。
「大和国国軸山金峯山由緒略記」(慶応四年、東三箱五号)は、次の神を祀るとする。
    相殿 玉依毘売神
  右 天万栲幡千幡比売命
    相殿 天津彦火瓊瓊杵尊

  正殿 水分神

    相殿 御子神
  左 高皇産霊神
    相殿 少毘古那神
 そして、ある書は住吉の神と同体とするが、当山では右の七神を祭り、鎮座の時代は分明ならず、勝手は陽神、子守は陰神の故、夫婦神と称すとしている。
 また「大和国吉野山金峯山寺神仏勘文」(明治元年十月、東三箱六号)は 「吉野山旧記ニ水分神及ヒ高皇産霊ノ神等七神ヲ祠ルトイヘトモ、鎮座ノ時代及ヒ神体分明ナラス。是全ク延喜式ニ祈雨神祭八十五座ノ中ニ吉野水分ノ社一座トアル。是レナランカ。亦旧記ニ勝手ハ陽神ニシテ、子守ハ陰神ナリト云ニヨレハ、若クハ阿治須岐ノ神ノ御妹ナル高比売ノ命ヲ祠レルナランカト思ハレリ。然レハ此両神ハ役ノ行者ノ遠祖ナル事ヲ思ヒテ、後人ノ祭レルモノナランカシ」 と記している。 まさしく「鎮座ノ時代及ヒ神体分明ナラズ」ということである。
 なお大乗院尋尊は「子守・吉野上御前・春日三十八所同一体」と記している(雑事記長享三年一月二十二日条)。 つまり率川社中殿の子守明神、吉野子守明神、春日若宮三十八所明神が同一体であるという。

鈴木昭英「金峰・熊野の霊山曼荼羅」

吉野曼荼羅

 なお。ここで金峰・吉野諸社の尊名、神像形姿、本地仏の一覧を掲げることにしよう。 『私聚百因縁集』『金峰山秘密伝』『金峰山創草記』『小篠秘要集』『両峰問答秘鈔』『大乗院寺社雑記』長享二年二月二十四日条、及び金峰・吉野の諸神を描写した鏡像・懸仏や吉野曼荼羅などを全体的に照合して作成した。 本地仏の異説の多いのに驚かされる。

  神名 神像姿 本地
蔵王堂 蔵王権現 夜叉形 〔過去〕釈迦・〔現在〕千手観音・〔未来〕弥勒(または大日、あるいは地蔵)
上宮 子守三所権現 僧体 阿弥陀
女体 地蔵
俗体 十一面観音(または胎蔵界大日)
若宮姫明神 女体 阿弥陀
三十八所 俗体 千手観音
率川 女体 十一面観音
下宮 勝手大明神 夜叉形 毘沙門天(あるいは文殊、あるいは得大勢至、不動)
矢護若宮 童子形 文殊
末社 金精大明神 俗体 金剛界微細会大日(あるいは釈迦、あるいは阿閦仏)
牛頭天王 夜叉形 薬師
八王子 俗体 十一面観音(または地蔵)
大南持 俗体 薬師
雨師 俗体 如意輪観音(あるいは十一面観音)
佐抛明神 俗体 地蔵
天満天神 俗体 十一面観音