由豆佐売神社 山形県鶴岡市湯田川 式内社(出羽国田川郡 由豆佐売神社)
旧・郷社
現在の祭神 溝樴姫命・大己貴命・少彦名命
本地 十一面観音

「平成祭データ」

由緒

当神社は、湯田川温泉のほぼ中央にある源湯、正面の湯の真向かいの、集落を見下ろす石段を登った高台に鎮座。創建は白雉元年(六九五)三月十七日と伝える。
延喜式内社で「延喜式」神名帳にみえる田川郡三座のうちの由豆佐賣神社に比定される。 「三大実録」仁和元年(八八五)十一月に十五日条によれば、同年六月二十一日出羽国秋田城中と飽海郡神宮寺西浜(現同郡遊佐町)に石鏃が降り、凶狄陰謀兵乱の前触れと占われ、これに対し神祇官から、この凶兆は「田川郡由豆佐乃売」など三神を崇敬しなかったためであると奏上があり、三神を厚く祀るようにとの命令が出されている。 神仏混淆していた中古の昔には、観音堂と称されて十一面観音を祀っていたと伝えられる。 近年には湯蔵権現、また龍蔵権現とよばれていた(出羽国風土略記)温泉鎮護の神とされ、庄内六座の一といわれた(天保三年木版刷羽州庄内田川温泉図付温泉の記)。 別当は南隣の大日山妙幢院長福寺が務めた。 慶長十七年(一六一二)最上義光から大日領として田川湯村一五五石余の黒印状一九通が与えられ、神子分として四余が含まれる(延宝九年庄内寺社領高付帳)。 「出羽国風土略記」には「龍蔵権現十ヵ年前迄は三間四面の社作にして物寂なるけしきに見つけるに近年の長福寺住職是を建替社作にもあらず表裏格子にして神輿やとうけ見るがごとし神壇も見えず」と記される。。
現在の社殿は、安永年間(一七七二〜八一)の造営といい、観音堂の形式をもつ。 例祭は三月十七日であったが、(前掲温泉図付温泉の記)、現在は五月一日に行われている。 また四月九日から十二日までの四日間にわたり例祭前の氏子廻りとして、祓の行事を行っている。 道化神楽ともいわれる滑稽な仕草の湯田川神楽、素人の即興的に演ずる滑稽さで知られた湯田川の俄踊も例祭に奉納の神事として伝承されたもので、俄踊は大正初期に廃絶した。 神木の樹光三〇メートルの大銀杏は乳イチョウと呼ばれ県指定天然記念物となっている。 樹齢一千年といわれて、宝永二年(一七〇五)の「大概往来」(鶴岡市郷土資料館蔵)に「出羽一国の銀杏の大木あり」と記されている。。
明治九年(一八七六)郷社に列せられ、同四十年月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。