風土記稿の記事 |
巻之九十八(村里部 鎌倉郡巻之三十)
山崎村
○天神社
字天神山にあり、
山麓を小名神代と唱ふ、
束帯の像(長一尺五寸余)を安ず
暦応中夢想国師北野天神を模して勧請すと云
当時は神田等数頃を附し松尾の社人を迎へ祭祀に奉ぜしめしとなり
(文禄元年三月、鶴岡の巫となれり今雪下村に住る、八乙女山崎守王是なり)
十一面観音の木像(長四尺余春日作)一躯あり、
此像は宝積廃寺の本尊なりしと伝ふ
(土人の伝に、古仏は宝暦の頃、円覚寺へ移し、当今の像は其模像なりとも云ふ)
貞治元年十二月円覚寺塔頭黄梅院主当社を再建せしこと義堂が撰せし祭文に見ゑたり、
例祭九月二十五日(山崎守王を始め、覡祝来りて神楽を奏す)、
相殿に牛頭天王を祀る(昔は岩瀬村、五社明神に合祀せしを、延宝中、山之内村の仮屋に迂せし時、洪水の災を避、当所に捧持し、当社の庭中に安置せしが、神託により、当社に合祀すと云)、
六月七日祭事あり(山之内村の仮屋に渡輿す、仮屋の処を天王屋鋪と唱へ、除地とす、同十四年、鶴岡の伶人来て楽を奏し、建長寺辺より、小袋谷村迄、巡行して、帰輿あり、当村、及山之内・台・小袋谷・大船・岩瀬・笠間・今泉・小菅谷・飯島等十町の鎮神とす)
社地に古松あり、文殊松と呼ぶ(大船村常楽寺、文殊堂に向て枝葉茂れり、故に此名ありとぞ、)
△古碑一基 応永十一年宝積寺の僧教音の建る所と云、文字摩滅して読べからず、
△山崎天満宮再造碑 文化八年九月里正九左衛門尋庸(梅沢氏)の建る所なり、
△末社 神明
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