『神道集』の神々

第十四 稲荷大明神事

稲荷明神は、上御前は千手、中御前は地蔵、下御前は如意輪観音である。 ある人の日記によると、下御前は如意輪、中御前は千手、上御前は命婦という辰狐で本地は文殊である。
辰狐菩薩の本地は、大日如来、文殊菩薩、普賢菩薩、多聞天王、如意輪観音である。
先ず外用の徳は十九種の霊験である。 これらの願いを叶えるために衆生の頼むべきところは、すべて辰狐王菩薩の利益である。
次に内証の功は衆生の心精の為に穢土の荒野に住む事である。 能乗は金色微妙の天女、所乗は白色殊勝の辰狐王である。 能乗(天女)と所乗(辰狐王)は定恵一体である。
この菩薩には天女子・赤女子・黒女子・帝釈子という四人の王子がいる。
また、この明神の眷属には八人の童子がいる。 八人の童子は守屋神・奪魂魄神・破呪詛神・護人大神・挑我神王・未称神王・愛敬大神として現れて行者を守護する。
また、この明神には二人の式神が仕えている。 二人の式神とは、頓遊行神と須臾馳走神である。
稲荷大明神の本地は大聖文殊師利菩薩である。 垂迹は陀枳尼明王、等流の化身であり、濁悪の教主である。
辰狐王菩薩は如意珠王菩薩である。

稲荷大明神

伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区深草薮之内町)
祭神は宇迦之御魂大神(下社)・佐田彦大神(中社)・大宮能売大神(上社)で、田中大神(田中神社)と四大神(四大神社)を配祀。 ただし、祭神に関しては異説が多く、例えば『神社覈録』は倉稲魂命(下社)・天御孫尊(中社)・伊弉冊尊(上社)、『特選神名牒』は神大市比売命(下社)・宇迦之御魂命(中社)・須佐之男命(上社)とする。
式内社(山城国紀伊郡 稲荷神社三座並名神大 月次新嘗)。 二十二社(上七社)。 旧・官幣大社。
史料上の初見は『続日本後紀』(承和十年[843]十二月戊午)の「奉授従五位下稲荷神従五位上」。

吉田兼倶『延喜式神名帳頭註』[LINK]によると、和銅四年[711]二月十一日の創祀。 同書の引用する『山城国風土記』逸文によると、秦中家忌寸の遠祖である伊侶具(伊侶巨)秦公が餅を弓の的にしたところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛来し、稲が成ったので社名を「伊奈利」とした。

『稲荷鎮座由来』によると、弘仁七年[816]に弘法大師は紀州田辺で身長八尺許の異相の老翁と出会った。 大師が「霊山で面拝した時の誓約を忘れていません。形は異なりますが、心は同じです。私には密教紹隆の願いが有ります。神にも仏法擁護の誓いが在ります。帝都の坤角九条に一大伽藍が有り、東寺と号します。鎮護国家の為に密教霊場を興して、お待ちしております」と云うと、老翁は「必ず参じてお会いします」と答えた。 同十四年[823]正月十九日、大師は東寺を賜り、密教道場と為した。 同年四月十三日、稲を荷って椙の葉を持った紀州の老翁が、二人の女と二人の子供を連れて東寺の南門に来た。 大師は歓喜して食事と果物を献じた。 暫くの間、老翁らは二階の柴守の家(後の御旅所)に寄宿した。 その間に大師は東寺造営の為の杣山を定め、十七日間鎮壇して稲荷神を祀った。

命婦

稲荷大明神の眷属である狐霊(辰狐)は"命婦"と呼ばれ、伏見稲荷大社では末社・白狐社などに祀られている。 また、稲荷大明神自体としばしば同一視される。

『稲荷鎮座由来』によると、洛陽城(左京)の北、船岡山の辺に老狐の夫婦が棲んでいた。 弘仁の頃、夫婦の狐は五匹の仔狐を連れて稲荷山に参じ、眷属になりたいと願った。 稲荷明神はこの願いを聞き入れ、夫狐は上社に仕えて小芋(小薄)、妻狐は下社に仕えて阿古町と名乗るよう命じた。
現在の白狐社は、この阿古町を祀った末社の後身である。
垂迹本地
稲荷大明神下社如意輪観音
中社地蔵菩薩(または千手観音)
上社千手観音
田中大神不動明王
四大神毘沙門天
命婦(辰狐)文殊菩薩
参考文献『稲荷鎮座由来』

四王子・八童子・二式神

荼吉尼(辰狐王菩薩)関連の祭文や聖教類に説かれる鬼神。
天地人の三重の盤を本尊として祈願を成就する「盤法」と呼ばれる修法がある。 この盤法に関する『盤法本尊図』『頓成悉地盤法次第』によると、天盤に辰狐王菩薩、人盤の側面には
 巽:天女子
 坤:赤女子
 乾:黒女子
 艮:帝尺使者(天帝使者)
を配す。 また、地盤の上面には
 寅:守宅神
 辰:稲荷神
 巳:米持神
 未:愛敬神
 申:破呪詛神
 戊:奪魂魄神
 亥:駈使神
 丑:護人大神
の八童子、側面には十二支・二十八宿・三十六禽、底面には堅牢地神・五帝龍王を配す。
二式神は盤には描かれないが、『乙足神供祭文』では、辰狐神王・天帝尺使者・天女子使者・赤女子使者・黒女子使者・八大童子式神使者に続き、頓遊行式神使者・須臾馳走式神使者・十二神式神使者・二十八宿式神使者・三十六禽式神使者・堅牢地神使者などの名が唱えられる。
(参考文献 『陰陽道×密教』、神奈川県立金沢文庫、2007)

陀枳尼

元来はインドの女神カーリーに仕える鬼神ダーキニーで、荼吉尼・吒枳尼などと音写される。 善無畏・一行『大日経疏』によると、人の死を六ヶ月前に予知してその心肝を喰らう悪鬼であったが、大日如来の化身である大黒天に降伏されて護法神となった。 胎蔵曼荼羅の外金剛部院には、焔摩天の眷属として三体の荼吉尼が臥屍と共に描かれる。

日本では狐に乗った天女の姿で表現され、稲荷大明神と習合した。 近世には伏見稲荷大社の本願所(愛染寺)において荼吉尼・聖天・弁財天の三天和合尊(辰狐王菩薩)の信仰が説かれ、諸方に荼吉尼天が勧請された。
明治初年の神仏分離により愛染寺は廃寺となり、稲荷社から荼吉尼天像が除かれた。 ただし、滋賀県長浜市の神照稲荷(神照寺/真言宗智山派)をはじめ、愛知県豊川市の豊川稲荷(妙厳寺/曹洞宗)や岡山県岡山市北区の最上稲荷(妙教寺/日蓮宗)など、仏教系の稲荷では現在も荼吉尼を祀っている。
(参考文献 大森惠子「荼吉尼天と稲荷信仰」「愛染寺の稲荷信仰流布」、『稲荷信仰と宗教民俗』所収、岩田書院、1994)