『神道集』の神々

第二十九 女人月水神忌給事

そもそも、神社・仏閣の参詣で諸の汚穢不浄を忌むのは、何の義が有るのか。
答、汚穢不浄は多いと雖も、今は殊に女人の月水の重き汚れを誡める。 また、蒜などの汚れも皆神道で忌むところである。 女人の月水の忌みは七日を限りとし、荒膚や鹿鳥の肉を食う事の忌みは百日(あるいは七十五日)を限りとする。

『心地観経』には「一切衆生胸間、八葉有肉壇」と云う。 女の肝は低く、男の肝は背を仰いでいる。 故に男の食した物は肉壇に留まり、尸虫を養うが、女の食した物はすぐ熟臓(腸)に下り、尸虫を養わない。 故に虫たちが飢えて食物を求め、泣いて涙を流し、血と成って出るのを月水と云う。

『梵網経』には「五辛食事不得」と云う。 五辛とは、蒜・葱・韮・蘭・根奥渠ネフカである。 もし食すと軽垢罪を犯すことになる。 『楞伽経』には「葱韮等息臭不浄、能正道障」と云う。 『首楞厳経』には「世間有鬼、若人有蒜食、息処臰、息因通力発、生類殺」と云う。 『楞伽経』の説では、正道の障碍であるので、その罪は深いと誡める。 『首楞厳経』の説では、人を殺すことにつながるので、これを重く禁じる。

月水は体内の尸虫の涙で、特別な障碍は無いので、その忌みは七日を限りとする。 ただ、精進の時に家を出るのは、(家にいると)火を同じくするためである。 月水は体内の尸虫の泣く涙なので、同火の食物を腹の内に入れると、同じ罪が有る。

八葉の肉壇

一行『大毘廬遮那仏成仏経疏』巻第四(入漫茶羅具縁真言品第二之余)[LINK]には
即ち自心を観じて八葉の蓮華と作せ。 阿闍梨言く、「凡人の汗栗駄心(心臓)の状は、猶ほ蓮花の合みて、未だ敷かざるの像の如し。筋脉ありて之を約めて八分と成す。男子のは上に向ひ、女子のは下に向ふ」と。 先づ此の蓮を観じて、其れを開敷せしめ、八葉の白蓮華座となす。 此の台の上に当に阿字を観じて金剛の色に作し、首の中に百光遍照王を置きて、而も無垢眼を以て之を観ずべし。 此れを以て自ら加持するが故に、即ち毘盧遮那の身と成る。
と説く。

安然『胎蔵金剛菩提心義略問答抄』巻第一本[LINK]には
一切衆生の胸間の肉団、其の形八分なり。 男は仰ぎ、女は伏す。 其の色丹赤なり。 是れ五臓中の心臓也。 真言行者、此の八分を観して八葉の蓮となり、上に九仏を開く。
とある。

山本ひろ子『変成譜』には
早くから密教には、衆生の肉団心(心臓)を胎蔵では八葉の蓮華と観じ、金剛界ではこれを月輪と観じるという説があった。 八分の葉脈のある心臓は、花弁を閉じた合蓮の形に類似している上、その未開敷の状態は胎蔵界の因中含理の意と考えられたのである。 また月輪は菩提心の円明の形を表すものとされ、そのため金剛界果智の標徴にみなされた、
ところで、心蓮は男子の場合は上を向いているのに対し、女子は下向きだという説は早く『大日経疏』に見えるが、それを『法華経』の変成男子に結びつけたのは、中古の日本天台であった。 台密の学匠池上阿闍梨皇慶が大原の長宴に口決で伝授したものを長宴が輯録した、十一世紀半ば成立の『四十帖決』[LINK]には変成男子がみえている。
寛徳二年[1045]四月二十三日
菩提心論ニ云フ。 「凡夫ノ心ハ合蓮、仏ノ心ハ満月ノ如シ」云々。 師曰ク、凡夫ノ心中ニ自潔清浄ノ義ヲ観ルガ故ニ、仏心ニ於テ之ヲ観ルナリ。 女人ノ心蓮下ヲ向ク。 心蓮ニ於テ仏ヲ観ルノ時、反ジテ心蓮ヲ観ルニ上ヲ向ク云々。
永承三年[1048]壬正月
男ノ肉ハ上ニ向ク。 女ノ肉ハ下ヲ向ク。 下ヲ向クガ故ニ法器ニ非ズト云フナリ。 妙法ノ心蓮台ニ非ズ。 開敷シテ仏位タルベキニ非ザルガ故ナリ。 故ニ将ニ等正覚ノ時ニ、必ズ蓮反ジテ上ヲ向クガ故ニ変成男子ト云フノミ
とある。
(『変成譜 —中世神仏習合の世界—』、第3章 龍女の成仏—『法華経』龍女成仏の中世的展開、春秋社、1993)

尸虫

葛洪『抱朴子』内篇巻六(微旨)[LINK]には
身中に三尸あり。 三尸の物たる、皆鬼神の属にして、形なきも実に魂霊あり。 人をして早く死せしめんと欲す。 この鬼は、常に自由に遊行して、人の祭酹を享く。 庚申の日に到ることは、輒ち天に上ぼりて、寿命を司どるの神に、人の過失を告白す。 又た月晦の夜には、竈神も亦天に上ぼりて、人の罪状を白す。 大なれば紀を奪ふ、紀とは三百日なり。 小なれば算を奪ふ、算とは三日なり。
とある。

運敞『寂照堂谷響集』第九の三尸の条[LINK]には
羣談採余に云く、道家言く、人身に三尸虫あり、之を三彭と謂ふ。 度申の日毎に人の唾に乗じ、其過悪を以て之を上帝に陳す。 故に学道の者、是の夕に遇へば輒ち睡らず。 許呈州の詩に、「夜寒初共守庚申」と云ふは是れなり。
瑯琊代酔に云く、人身に三尸あり。 上尸は青姑、中尸は白姑、下尸は血姑なり。 毎月庚申、甲子の日、人の過を上帝に言すと。 一に曰く、三尸之を三彰と謂ふ。 上尸は彭踞、中戸は彭躓、下尸は彭䠮なり。
とある。

『塵添壒嚢鈔』第十の庚申事の条[LINK]には
人の生るゝより三尸といふものありて身を離れず、人を害せんとす。 庚申の夜、人の罪過を天に告ぐ。 上戸は人の頭に居して、眼くらし、面皺をたゝみ、髮の色を白くなさしむ。 中戸は腸の中の五蔵を損し、悪夢をなし、飲食を好む。 下尸は足に居て、命を奪い、精をなやます。 庚申の日ねぶらずして、三尸の名を呼べば、禍を除き福をきたす。
とある。

尸虫(三尸虫)と月水を結び付ける説は、管見の限り他に見ない。

『心地観経』

般若訳『大乗本生心地観経』を指すと思われるが、「一切衆生胸間、八葉有肉壇」は未詳。

『梵網経』

鳩摩羅什訳『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』巻下に説く四十八軽戒の第四[LINK]には
不得食五辛、大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠、是五種、一切食中不食、若故食者、犯軽垢罪
(五辛を食することを得ざれ。大蒜と、革葱と、慈葱と、蘭葱と、興渠なり。この五種は、一切の食の中に食することを得ざれ。もし故に食せば、軽垢罪を犯す)
と説く。

『楞伽経』

菩提流支訳『入楞伽経』巻第八(遮食肉品第十六)[LINK]には
如是一切葱韮蒜薤臭穢不浄、能障聖道、亦障世間人天浄処
(是の如く一切の葱韮蒜薤の臭穢不浄なるは、能く聖道を障へ、亦世間人天の浄処を障ふ)
と説く。

『首楞厳経』

般刺密帝訳『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』を指すと思われるが、「世間有鬼……生類殺」は未詳。

五辛に関しては巻第八之一[LINK]には
世間の五種の辛菜を断ずべし。是の五種の辛は、熟せるを食すれば婬を発し、生を啖ては恚を増す。 是の如きの世界の辛を食する人は、縦ひ能く十二部経を宣説するとも、十方の天仙は其の臭穢を嫌うて、咸く皆遠離す。 諸の餓鬼等は、彼の食の次に因つて其唇吻を舐り、常に鬼と与に住すれば、福徳日に銷して長く利益なし。 是の辛を食する人は、三摩地を修するとも、菩薩天仙十方の善神は、来つて守護せず。大力の魔王は其方便を得て、仏身を現作して来りて為に法を説き、禁戒を非毀し、婬怒癡を讃ず。 命終れば自ら魔王の眷属と為り、魔福を受くること尽きぬれば無間地獄に堕す。
と説く。