『神道集』の神々

第三十八 橋姫明神事

橋姫は日本国内の大小の川の橋を守る神である。 摂州長柄の橋姫、淀の橋姫、宇治の橋姫など数多いが、ここでは長柄の橋姫の由来を述べよう。
人皇三十八代斉明天皇の御代、摂州長柄橋がたびたび架けられたが長持ちしなかった。
そこに膝の破れを白布で縫付けた浅黄の袴を履いた男が妻子と共に通りかかった。 男は橋材の上で休みながら、「膝の破れを白布で縫付けた浅黄の袴を履いた者を人柱を立てれば良い」 と言った。
橋奉行がこれを聞き、男とその妻子を人柱に立てた。 身を投げる時、妻は歌を詠んだ。
 物いえは長柄の橋の橋柱 鳴かずば雉のとられざらまし
この女は橋姫と成り、人々は長柄橋の近くに神社を立て橋姫明神として祀った。

長柄の橋姫

長柄橋は大阪の淀川に架かる橋であるが、橋姫を祀る神社は現存しない。

現在の長柄橋は大阪市北区本庄東と東淀川区柴島を結んでいるが、古くは淀川区東三国と吹田市の間に架けられていたと考えられている。
大願寺(大阪市淀川区東三国一丁目)の寺伝によると、推古天皇二十一年[613]に垂水の巌氏長者が人柱となって長柄橋の工事を完成させた。 長者の冥福を祈るため勅命により長柄橋の傍に建立された橋本寺が大願寺の前身である。
同寺境内には巌氏の墓と伝えられる五輪塔が現存し、光明ヶ池(巌氏が人柱となった跡とされる)の跡地には「長柄人柱巌氏」の碑が建てられている。

淀の橋姫

不詳。

宇治の橋姫

橋姫神社(京都府宇治市宇治蓮華)
祭神は瀬織津比咩神。
旧・村社。

社伝によると、大化二年[646]に宇治橋が架けられた時、その鎮護のために桜谷の佐久奈度神社(滋賀県大津市大石中一丁目)から瀬織津比咩神を勧請し、宇治橋の"三の間"に奉斎した。 近世には宇治橋西詰に鎮座していたが、明治三年[1870]の洪水で社殿を流失し、同三十九年[1906]に現在地に再興された。