福田晃「諏訪の中世神話」によると、宝治三年(1249)の「諏訪信重解状」に"当砌昔者、守屋大臣所領也、大神天降御之刻、大臣者奉禦明神之居住"と、諏訪明神と守屋大臣の争いが記されており、当時から洩矢神と物部守屋の混同が有ったようです。 https://t.co/kH746DHrgW

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年6月30日

@HisadomeK この「諏訪の中世神話」は福田晃・徳田和夫・二本松康宏(編)『諏訪信仰の中世 神話・伝承・歴史』(三弥井書店、2015)に収録されています。

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@HisadomeK なお、「諏訪信重解状」の"宝治三年"は疑わしいという説(実際は建武政権期に書かれた)も有るようです。

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「諏訪上社物忌令」によると、諏訪明神の前身は天竺波提国主で、守屋はその家臣でした。七月に鹿野苑で御狩をしていた時に守屋が謀反を起こしましたが、波提国主はその難を逃れ、広大慈悲の名を世に示しました。
その後、波提国主は南方波斯国(ペルシア)で悪龍を退治し、陬波皇帝と呼ばれました。

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「諏訪上社物忌令」の続き。
波提国主は陬波皇帝として波斯国を治めた後、東方金色山で仏道を成しました。
その後に日本に移って、神功皇后の三韓征伐の際に海上に顕現。それから西宮や豊前高山の麓を経て、最終的に信濃国諏訪郡に垂跡しました。

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諏訪明神の前身を天竺波提国王とする話は『諏訪大明神絵詞』の御射山祭の由来の件https://t.co/rClTB5ijMi
にも記されています。こちらでは謀反を起こした家臣の名は"美教"となっています。

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『諏訪大明神絵詞』の別の箇所、藤島社の由来の件https://t.co/TaQaV0WCML
には、諏訪明神が垂迹した時に、洩矢の悪賊が妨げようとして争いになった事が記されています。この"洩矢の悪賊"が「諏訪信重解状」における"守屋大臣"に相当するわけです。

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『諏訪大明神絵詞』『諏訪上社物忌令』『諏訪信重解状』『陬波御記文』『陬波私注』などに記された種々の中世諏訪神話に関しては、二本松康宏「諏訪縁起の変容」がよくまとまっています。「諏訪の中世神話」と同じく『諏訪信仰の中世 神話・伝承・歴史』に収録されています。

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