『源平盛衰記』巻第四十四https://t.co/LuBsePVHkL
出雲国簸川上に尾頭共に八ある大蛇と成り、人をのむ事年々なりしに、素盞烏尊、王者を憐み、民を孚み、彼大蛇を失はる。其後此剣を尊取給て、天照太神に奉る。 https://t.co/GMe3IxNmPF

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月7日

@HisadomeK 景行天皇御宇に、日本武尊東夷降伏の時、天照太神より厳宮御使にて、此剣を賜ひて下し給し、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇と成て此剣をとらんとす。されども尊心猛おはせし上、勅命に依て下り給ふ間も、我を恐思事なく、飛越通給しかば力及ず。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月7日

@HisadomeK 其後廻謀とらんとせしかども叶はずして、簸川上の大蛇安徳天皇となり、源平の乱を起し龍宮に返し取る。
…という訳で、八岐大蛇は胆吹山の大蛇と成って日本武尊から宝剣を取り返そうとして失敗、安徳天皇と成って龍宮に宝剣を取り戻したのです。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月7日

@gishigaku @LOVEorCRAFT 剣は口にくわえていました。
長は知らず、臥長二丈もや有らんと覚る大蛇、剣を口にくはへ、七八歳の小児を懐、眼は日月の如く、口は朱をさせるが如く、舌は紅袴を打振に似たり。(中略)口に含めるは即宝剣なり、懐ける小児は先帝安徳天皇也

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月7日

@gishigaku @LOVEorCRAFT 海底で安徳帝を抱いていた大蛇の王子が父と不仲になって地上に出たのが八岐大蛇で、この八岐大蛇が生まれ変わったのが安徳帝。つまり両者は元々父子なのです。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月7日

八岐大蛇と安徳帝について、『平家物語』(覚一本)は以下のように記します:
昔出雲国ひの河上にて素戔烏尊に切り殺され奉し大蛇、霊剣を惜む志深くして八の首八の尾を表事として人王八十代の後、八歳の帝と成て霊剣を取り返して海底に沈み給ふにこそ。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 『平家物語』(百二十句本)は少々複雑です。「剣の巻上」では天地開闢から素戔嗚尊の八岐大蛇退治まで簡単に述べ、その後にこう記します:
大蛇は風水龍王の天下りし、死してのち、近江と美濃とのさかひなる伊吹の明神これなり。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 続いて、倭建尊東夷征伐の件で:
かの大蛇、なほいきどほりやまずして大路に伏しはびこる。破りて通りがたしとて、官軍みな帰りければ、不破の関とは申すなり。倭建尊、もとより剛にましませば、君命そむきがたしとて、一人踏み越へ給ふ。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 倭建尊の没後:
剣はそのまま熱田の宮にこめられしを、天智天皇七年に新羅の帝より沙門道行を渡して、この剣を盗まんとせしを、住吉の明神蹴殺し給ふ。なほ望みをかけしゆゑ、生不動といふ聖に七つの剣を持たせ、日本に渡さる。尾張の国へ着きしかば、熱田の明神蹴殺し給ふ。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 大蛇の執着深かりければ、みな彼が化身にて、剣をとらんとしてんげるにや。不破の関の大蛇も、沙門道行、生不動、みなこの化身なり。あまつさへ、わが朝の安徳天皇と生まれ、八歳の龍女の姿を示さんがために、八歳の帝王の体を現して、深く龍宮に納めけるとかや。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 以下のように整理できます。
1. 八岐大蛇が素盞鳴に殺され、剣を奪われる。
2. 不破の関の大蛇が倭建尊から剣を取り返そうとするが失敗。
3. 新羅の沙門道行や生不動が熱田神宮から剣を奪おうとして失敗。
4. 最後に安徳天皇と成って剣を龍宮に取り戻す。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 沙門道行の話は『日本書紀』天智天皇七年の記事https://t.co/QiMNN5Uo2k
「是の歳、沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、荒迷ひて帰る」に拠ります。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日

@HisadomeK 生不動については詳細不明。
有朋堂文庫『平家物語』の「剣巻」https://t.co/MzS9cpDOlFには「帝生不動といふ将軍に、七つの剣を持たせて日本へぞ渡しける」。
御伽草紙『熱田の神秘』では、新羅の帝は天竺から「生身の七不動」を祈り下したらしい。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年8月14日