『続日本後紀』によると、承和六年に出羽国で鏃や鋒のような「兵象之石」が発見された報告がありました。これが同年八月に大物忌神が遣唐使を南海の海賊から守護した証とされて、翌年七月に大物忌神に従四位下が授けられました。https://t.co/laV0DXg2vS https://t.co/iCrqHQFfAx

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年9月25日

@HisadomeK 谷川健一(編)『日本の神々12 東北・北海道』(白水社)より、鳥海山大物忌神社の項(新野直吉):
これらは、実は鳥海山が十日間雨中に入っていたというあの長雨のとき、大水によって流れ出た出土土器が、一度海に入って海浜に打ち上げられたものであった。

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@HisadomeK (中略)まさしく神の援軍が天上で戦い、それが海上の戦闘で海賊を討って遣唐第二船を救け、その神の兵器が流れ矢などになって地上に降り、もとの鳥海山麓の海浜に流れ戻ったものと判断したとしても、それほどおかしなことではなかろう。

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