『江戸名所図会』巻之三の目黒不動堂の項では、創建を大同三年としつつも、「ある人いふ、この地は日本武尊を鎮るところなり。慈覚大師この地経歴の頃、不動明王の像を彫刻して神体に擬せらる。(中略)尊その火のうちに立ちたまふ形相、さも明王の形に似たるをもつて、これに比せしとぞ」とあります。 https://t.co/A4ZDIIMM61

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年12月18日

『新編武蔵風土記稿』巻之四十七https://t.co/ksKKv9fRcTの目黒不動堂の項にも「農民等申けるは、当山荒人神はもと日本武尊を崇まつれり、願くは神体を彫刻し給ひ神殿へ移したまはれと、大師やがて不動尊の像を彫刻して内陣へ納めしとぞ」と記されていました。 https://t.co/au8xdf2CcQ

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坂本勝成「江戸の不動信仰」(戎光祥出版『不動信仰事典』所収)によると、享保十七・十八年頃から目黒不動縁起に日本武尊・荒人神に関する補筆が為されるようになったそうです。
確認出来る範囲では享保十七年発行の『江戸砂子』が最初。 https://t.co/au8xdf2CcQ

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