山本ひろ子「中世諏訪社の一考察」https://t.co/A6Md69I7gp
で、山本氏は『画詞』を"諏訪大明神を「藤島明神」と号する"、『講式』を"諏訪大明神は「今(の)藤島の明神是也」"と解釈し、"諏訪大明神=「藤島の明神」という異称"と述べていました。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月10日

藤島明神は諏訪大明神の眷属(中十三社の第一)なので、私は『画詞』の記述を"諏訪大明神の先兵として洩矢の逆賊と戦って勝利した神を「藤島明神」と号した"と解釈していたのですが。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月10日

『諏方上社物忌令之事』の中十三所名帳でも藤嶋大明神の本地は不動と記されており、諏訪大明神(本地は普賢菩薩)とは別の神として扱われています。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月10日

勝田正履は「橋原村に鎮座する守屋大明神と対岸の何某の神は不仲で、両岸の藤の木が絡む様は両神が争うようだと古老が言っている」と記し、「この守屋の神は初めは大明神を拒み後に服従した」とコメントしているだけで、"何某の神"と藤島明神や諏訪大明神の関係には言及していないんですね。 https://t.co/N7MhE7J5eu

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月14日

@HisadomeK 一方、松沢義章は「三沢村に藤島大明神の宮があり、天竜川を隔てた橋原村に守屋大明神と唱える宮がある」と断言。「昔は藤の大木が両社に有り、それぞれ対岸の神社まで伸びていて、まるで空中に藤の花で作った橋のようだった」と述べ、両神が争う云々という記述は見られません。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月14日