『日吉社禰宜口伝抄』には中世の山王神道書に見られない「上代日吉神社申者、今八王子社也(中略)其五百津石村者、山末之大主神御陵也」や「王子宮、別雷神降誕産屋之権殿也」等の記述(山王祭の神輿上神事や宵宮落し神事と関わる)が有りますが、これらも近世の成立なのだろうか? https://t.co/9FKVsZZVs4

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月19日

現在の日吉大社では、東大宮・樹下宮は大山咋神・鴨玉依姫神の夫婦神で、八王子山の牛尾宮・三宮宮はその荒魂を祀る奥宮と位置づけられています。また、産屋神社には大山咋神・鴨玉依姫神の御子である鴨別雷神が祀られています。
しかし、かつては全く異なる神々が祀られていました。 https://t.co/O0b2W3BCCb

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

@HisadomeK 例えば、『二十二社註式』引用の「扶桑明月集」https://t.co/KKrMFrG2Vyによると、二宮(東大宮)は国常立尊、十禅師(樹下宮)は天児屋尊、八王子(牛尾宮)は国狭槌尊、三宮は「五男三女神中三女」(つまり宗像三女神)です。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

@HisadomeK 『日吉社神道秘密記』https://t.co/evl6dxEsqzによると、二宮は国常立尊、十禅師は瓊々杵尊、八王子は国狭槌尊、三宮は惶根尊です。また、王子宮(産屋神社)の名称は本地仏の文殊師利法王子に由来します。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

@HisadomeK 一方、『日吉社禰宜口伝抄』によると、上代の日吉神社は八王子社であり、崇神天皇七年に和魂を山麓に祀ったのが小比叡宮(東本宮)です。この小比叡宮は元は大山咋神・玉依姫神・玉依彦神・別雷神の相殿四座で、後に大山咋神以外の三神を十禅師宮(樹下宮)に移しました。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

@HisadomeK この十禅師宮からさらに玉依彦神を移したのが小禅師宮(樹下若宮)です。
また、王子宮(産屋神社)は別雷神降誕の産屋の権殿です。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

@HisadomeK なお、江戸時代の地誌『近江国輿地志略』https://t.co/047edXIhiEには『日吉社禰宜口伝抄』は言及されていません。筆者は本地垂迹説には批判的なのですが、当該箇所では『扶桑明月集』や山王神道書(『日吉社神道秘密記』など)に依って記述しています。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

『釈日本紀』引用の「山城国風土記」によると、別雷神の父は乙訓郡社坐火雷命。『本朝月令』引用の「秦氏本系帳」によると松尾大明神。
『日吉社禰宜口伝抄』は「別雷神昇天之時、丹塗箭鳴動飛去在比叡社、其後飛去在乙訓社、又飛去在松尾社」として、日吉・乙訓・松尾の三社を結び付けました。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日

日吉大社の山王祭では、大山咋神・鴨玉依姫神の神婚による鴨別雷神の誕生と、大和国三輪山から琵琶湖を渡って来た大己貴神の鎮座の二つが主要なモチーフになっています。前者は『日吉社禰宜口伝抄』の内容と関わるので、同書が古伝なのか近世のものなのかが気になります。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月25日