今日は生藤山に登って来ました。
登山口は石楯尾神社(神奈川県相模原市緑区佐野川)です。 pic.twitter.com/sfxtJE0lp2

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月5日

『新編相模国風土記稿』https://t.co/Fn5J5evZpCによると、「石楯尾神社 蚕山にあり、或は高座(高加津久良)大明神と祭る、或は軍荼利宮とも書す、是を前社と称す【延喜式】に所謂相模国高座郡十三座の内石楯尾神社是れなりと云ふ、今は小祠を建つ」

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(中略)「当御山に御鎮座御神者、神代天津日高日子波限建鵜?草葺不合尊之第四の御子、初の御名者狭野尊、亦の御名者神日本盤村彦尊、贈御名神武天皇と称し奉る、亦後に於て鎮の御名者石楯尾神と拝奉るなり、石楯尾は石楯斎置の斎を省きたるとも云へり」

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(中略)「十二代景行天皇庚戌四十年日本武尊東夷御征伐之砌、神武天皇昔日向の狭野より東を征せし時用ひし天磐楯を持来りたまひ、東国鎮護の為に、今此所へ置斎て守と為す可しと、依之此楯を賀して鎮楯と云ふ亦石楯とも書す」

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(中略)「六十二代村上天皇の御宇、応和元辛酉年十一月十九日、御宮再御造営也、御内神石楯尾の神の御合殿とし、火迦具土命、亦和加産巣日命をも鎮め、御名を増蚕山幣嶽桑森、延喜式内石楯尾神社軍多利の宮亦軍荼利の宮とも書す」

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(中略)「建武元甲戌年三月、時の領主新田義貞朝臣の寄進に依て、御山内蚕山の社添へに御堂を建て安置し、軍荼利夜叉明王と祭るなり」

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石楯尾神社から佐野川峠に上り、三国山に向かう途中、甘草水が有ります。
その傍らに甘草水大明神の小祠が祀られています。 pic.twitter.com/JNi1ZtQxRD

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『新編相模国風土記稿』https://t.co/Fn5J5evZpCによると「甘草水 蚕山の東北澗十町余にあり、景行天皇四十年日本武尊東夷征伐の時三国峠に軍を憩ひ給ふに、山上に水なく、諸軍勢渇にたへず、爰に於て尊鉾を以て巌頭を穿ちたまへば清泉忽涌出し、軍士を養ふに足れり」

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(続き)「尊大に喜び狭野尊の賜なりとのたまひ、即泉を甘草水と名づく、下流をば狭野川と呼ぶ、遂に村名となる、後に佐野川と書換ふ」

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三国山・生藤山の山頂に到着後、軍刀利神社元社に寄りました。 pic.twitter.com/WVJY92jmoZ

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三国山から下って軍刀利神社・奥之院へ。大桂が御神木です。 pic.twitter.com/yBbJg0X5BA

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奥之院から更に下って軍刀利神社(山梨県上野原市棡原)に到着。 pic.twitter.com/ZXQf83chtv

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『甲斐国志』https://t.co/bwWMAvUOs8によると、「軍荼利夜叉明王社、棡原村井戸鎮守、永正八年鰐口有銘略之、寛永九壬申年棟札アリ略之、祭礼霜月十九日、除地下畑五畝拾八歩下々畑一畝弐拾歩、別当修験大正院」

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佐野川の石楯尾神社も旧称は軍荼利宮であり、三国山・生藤山の一帯は神仏習合の形で軍荼利明王が信仰された地だったと思われます。

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