昨年の晩秋、赤城山の中央火口丘・地蔵岳に登って来ました。
麓の村々の死者の霊が登る山とされ、山神は地蔵菩薩と習合した覚満大菩薩として信仰されたそうです。山頂に安置されていた応永十三年(1406)の銅像地蔵尊は廃仏毀釈で失われ、現在は頭部の無い石仏のお地蔵様が僅かに残っています。 pic.twitter.com/TD9f1qwAB1

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月30日

『日光山縁起』ですね。神戦に敗れた赤城山側では百足の件にはあまり言及していないのですが、江戸時代の『上野国志』https://t.co/Pii4xXLuHTを読むと、大洞赤城神社の摂社・飛鳥五社の祭神中に「蚣神」が見え、往時の百足信仰の痕跡が窺えるように思います。 https://t.co/8UEDKnswRU

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月30日

上野国の神社縁起を多数収録する『神道集』の「日光権現事」には「そもそも日光権現は、下野国の鎮守なり。往昔に赤城大明神と沼を諍ひつつ、?佐羅麼を語たまひし事は遥に遠き昔なり」と曖昧に記されています。
上野国の赤城大明神が負けた事は書きたくないが、日光権現に言及しないわけにはいかず…

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月30日

?佐羅麼は『日光山縁起』の小野猿丸や『宇都宮大明神代々奇瑞之事』の温佐郎麿に相当する下野側の人物です。
一方『神道集』の「上野国勢多郡鎮守赤城大明神事」で赤城大明神以前の赤城沼の龍神が?佐羅摩女。
上野・下野の両毛に縁のある古い神なのだろうか?

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月30日