例えば、『新編武蔵風土記稿』の大宮氷川神社の条https://t.co/gCao74qdpqには、「門客人社 男体社の東にあり、祭神は豊磐窓命・櫛磐窓命の二座にて、古は荒脛巾神社と号せしを、氷川内記神職たりしとき、神祇伯吉田家へ告して、門客人と改号し…」とありますね。 https://t.co/RLKlLxWgIY

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月20日

また、『新編相模国風土記稿』の閑香明神社(小野神社)の条https://t.co/1OuszGlL2rには、「村の鎮守なり、 延喜式に載し小野神社(当国十三座の一)にて祭神下春命と云、神躰木像、本地薬師(長一尺七分、行基作)を安じ、阿羅波婆枳春日の二座を相殿とす」とあります。 https://t.co/RLKlLxWgIY

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月20日

子持神社(群馬県渋川市)などの由来を物語った『子持山縁起』にアラハハキの神名が出て来ます。
物語は『神道集』の「上野国児持山之事」とほぼ同内容で、登場人物たちが神々になるくだりに「権守を神になしまいらせ、荒垣の内におはします、則あらはゝき是なり」と記されています。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月21日

この箇所は『神道集』では「阿野権守の夫婦倶に神道の法を授けらせたまひて、津守大明神とて伊勢太神宮の荒垣の内に在すは即ちこれなり」と記されています。『神道集』や『子持山縁起』では、"あらはゝき"(津守大明神)は皇大神宮の荒垣の内に祀られている神と認識されていたわけです。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月21日

吉野裕子『日本人の死生観』では、皇大神宮の所管社・屋乃波比伎神は御敷地の旧主である波波木神で、新来の神(天照大神)にその場所を譲って御敷地の外に顕現して顕波波木(あらははき)と呼ばれると説明。
この説が正しければ、『子持山縁起』の"あらはゝき"も屋乃波比伎神を指すと考えられます。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月21日

ネットでは後藤菊次郎氏本「子持山縁起」に"アラハバキ姫"と記されているという記述を見かけます。
この後藤菊次郎氏本「子持山縁起」は近藤喜博(編)『神道集 東洋文庫本』(角川書店)に"上州の語り物"の一つとして翻刻されていますが、"アラハバキ姫"というのは見当たりません。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月21日

ネットにおける『子持山縁起』とアラハバキ姫に関する言及は、雑誌『迷宮』に掲載された竹内建「阿比留字本源考 琉球古字と十二干の謎」が元ネタのようです。
この論考には、以下のような記述があります。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月22日

(1)『安居院神道集』所収の本地譚項目のうちアラハバキ神名を現存させた唯一の項である「上野国兒持山之事」では、まさしくこの荒祭宮をしてアラハバキ神なることを示唆している
(2)「兒持山之事」は、もともと伊勢国度会郡神崎の地主神たる「アラハバキ比売」の物語である

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月22日

(3)群馬県吾妻郡の後藤菊次郎氏本『子持山縁起』では、加若太夫が伊勢神宮の「あらがきの内におはします、則あらははき是なり」と権現名としてのアラハバキ神の名を明記しているにも拘らず、流布本『安居院神道集』の方では(中略)実の神名を韜晦している

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月22日

(1)に関してですが、『神道集』でも『子持山縁起』でも、荒祭宮がアラハバキ神であることを示唆しているような記述は見当たりません。
荒祭宮は皇大神宮の荒垣の内ではなく、御正宮の北に鎮座しています。https://t.co/XL8jsXrL0z

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月22日

(2)の「アラハバキ比売」なる神名の出典は不明です。なお、竹内氏はこの神名が『子持山縁起』に記されているとは書いていません。
(3)の『子持山縁起』に「あらははき」の神名が明記されている事は、添付画像(後藤菊次郎氏本『子持山縁起』)の通りです。 pic.twitter.com/9tl1bSHxFD

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年6月22日