この「足立神社史」かなり混乱してますね。地神五代神と称して別天津神の神名を挙げたり。12所神社はおそらく本来は熊野十二所権現で、後に天神七代・地神五代になったパターン。
なお、植田谷本の「武蔵国足立郡足立神社本跡縁起」によると、祭神日本武尊、本地不動明王、別当林光寺です。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年7月7日

熊野十二所権現を記紀神話の神々に充てる場合、『紀伊続風土記』の新宮の条https://t.co/5d99LyFY5Pでは、
結宮:伊弉冉尊、速玉宮:伊弉諾尊、証誠殿:国常立尊
これに四所明神を併せたのが天神七代、五所王子が地神五代になります。
本宮だと四所明神が違うんですけどね。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年7月9日

「武蔵国足立郡足立神社本跡縁起」
抑足立神社は、延喜式神名帳に載する武蔵国大小四十貳社の内にして日本武尊を祭る所なり。往昔人皇十二代景行天皇四十年に蝦夷東国を漫擾し人民を凌虐す。天皇第三の皇子日本武尊に勅して征討せしむる。 https://t.co/IUa3ARYvTo

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年7月8日

(中略)皇子東国を安撫し農桑種植を教えて万民を安寧ならしめ給ふ。其功勲遠く遐代に流れて武蔵国特に日本武尊を崇敬し、神祠を建て足立の神社と号し祭祀する所以なり。星霜は年古て社頭窪隆ありといへとも、神徳は逐日威霊倍々新なり。今林光寺境内に鎮座まします是なり。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年7月8日

(続き)其本地を繹ぬるに大聖不動明王にして堅牢地天と同一体なり。日本武尊神武威にして東夷を降伏し給ひ、東国の万民に農桑種植を教諭し給ひし本地垂跡・和光同塵同一の本誓仰て信すへし。別当林光寺覚誉法印住職の日に当て本地不動明王の霊像を感得安置せり。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年7月8日