舩田淳一『神仏と儀礼の中世』で紹介されていた春日大社の中世神道書「春夜神記」を読んでみました。
— k.hisadome (@HisadomeK) 2018年2月25日
"鎌足大臣因縁事"と云う一節によると、常陸国鹿島郡の土民の赤子が桶(いわゆる「イジコ」)に入れられていた。そこに白狐が来て赤子を腹の上に乗せて「自尊佐理均在位七歳作坐冠天子」と云った。 pic.twitter.com/DpR04uOLMy
狐は赤子を桶に戻し、藤巻の鎌(藤の蔓の巻き付けた鎌)を授けた。
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子供は成長して都に上り、大内裏の塵取の下男となった。
蘇我入鹿は中大兄皇子(天智天皇)に土を踏ませようと謀り、法興寺で蹴鞠を催した。 皇子の右足の沓の緒を結ばなかったので、蹴鞠の最中に沓が脱げて土を踏みそうになった。
その時に鹿島の塵取男が走り出て皇子を背負い、梃の上に登らせた。皇子は男を召して中臣鎌子連と為した。
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天智天皇は蘇我入鹿の一族を滅ぼそうと欲し、中臣鎌足と相談した。鎌足は蘇我入鹿の首を狐に授かった鎌で伐った。鎌足は内大臣に任ぜられ、中臣姓を改め藤原姓を賜った。
その後、鎌足は常陸国を拝領し、下向の途中の深山で鎌を深く埋めた。その地は武家の居所となった。今の鶴岡八幡宮の宮山である。
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辰狐が藤巻の鎌を赤子に授け、鎌足はその鎌で入鹿を討って大臣の位に登り、藤原氏は天下の摂録となったのである。
下野国の松岡明神は?天である。鹿島大明神と一体で、春日明神である。即位灌頂は?天の法である。
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下野国は相模国の誤記だろうと思います。松岡明神とは鶴岡八幡宮の地主神の丸山稲荷社の旧称です。
『神道集』の「鹿嶋大明神事」に、鎌足内大臣が「神に鎌を賜ふ、殊に奸臣を靡け、内裏の勅に依て朝敵を誅する也」と書かれていたのは、この話だったんだな。
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同じく「春夜神記」によると、興福寺南円堂は補陀落山(観音菩薩の住む山)を表している。
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弘仁の頃に長岡大臣(藤原内麻呂)と弘法大師が相談し、丈六三目八臂の不空羂索観音像を造立し、補陀落山を象って御堂は八角に造立する事にした。 pic.twitter.com/LJLqrZ0X9f
長岡大臣は建立前に亡くなったので、息子の左大臣冬嗣が大師と相談し、弘仁四年に南円堂を建立して、大師が鎮壇の法を修した。
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この堂を供養した日に源氏の公卿が六人死んだので、それから次第に藤原氏は繁栄したのである。
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南円堂の不空羂索観音(春日明神の本地仏)は藤原氏の守護仏という話。