『神道集』の「鹿嶋大明神事」に「此御神氏人大仲臣鎌足村子云人」と書かれています。"大仲臣鎌足"は中臣鎌足ですが"村子"って何だろうと思っていましたが……おそらく、連(むらじ)の当て字と思われます。 pic.twitter.com/M74KBpcK9s
— k.hisadome (@HisadomeK) 2018年2月28日
藤氏四家は不比等の息子二人と弟二人を祖とする。宇合(式家)は鎌足の三男、内麻呂(京家)は鎌足の四男、武智麻呂(南家)は不比等の長男、房前(北家)は不比等の次男と書かれています。
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この記述は『大鏡』https://t.co/DXGAoz1MkVを典拠としているようですね。 pic.twitter.com/Jabae2QTKA
「其氏人帝・后・大臣立時、必彼御使奉」以下の、春日大社・大原野神社・吉田神社に関する記述も、『大鏡』https://t.co/tC4sKsJyZCを典拠としているようです。
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国文学の人には知られているのかもしれませんが、私は初めて気づきました。
面白いのは、鎌足は金の鷲に乗って天下った天津児屋根尊の子孫ではなく、銀の鶴に乗って天下った御供の子孫だという記述。鎌足は中臣氏の主流ではなく傍流の家系である事を暗示しているというのは考えすぎかな?
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