『太平記』巻二十七の「雲景未来記の事」の条に、愛宕山の魔界の上座に金の鵄の姿をした崇徳院、その傍らに源為朝、左の座に代々の帝王(淡路の廃帝・井上皇后・後鳥羽院・後醍醐院)、その次の座に高僧達(玄ム・真済など)が居たという記述が有りました。https://t.co/Ps2TZE8Ia8 https://t.co/eCegn9wT7U

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『平成祭データ』で検索すると、崇徳上皇を祭神とする神社は全国に500社(境内社含む)以上見つかりました。但し、大半は琴平神社・金刀比羅神社・事毘羅神社など金毘羅系の神社、そうでない場合でも大物主神と共に祀られているので金毘羅社が他の神社に合祀されたと思われます。 https://t.co/rG8uzgjnsJ

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崇徳院を主祭神とする神社は、白峯神宮(京都市)・白峰宮(香川県坂出市)・青海神社(同)・鼓岡神社(同)・天皇神社(香川県直島町)など。
白峰宮は「崇徳院殯斂の聖地」、青海神社は「崇徳院の玉体を白峰山を茶毘して紫煙が降った地」、鼓岡神社は「崇徳院仙居の霊跡」と伝えられています。

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「北野天神縁起」と「雲景未来記の事」を読み比べてみると、前者は菅公が醍醐帝や藤原一門に直接祟っており、天神の霊威が強調されています。それに対し、後者で主眼が置かれているのは足利家や執権の政道に対する批判であり、崇徳院の霊威は特に強調されていません。 https://t.co/48cUh9L0ST

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崇徳院の祟りは『保元物語』巻三の「新院御経沈附崩御事」に書かれています。「同じ(治承)三年十一月十四日に、清盛、朝家を怨み奉り、太上天皇を鳥羽の離宮に押し籠め奉り、太政大臣以下四十三人の官職を止め、関白殿を太宰権帥に遷し進らす。是れ直事にあらず、崇徳院の御祟りとぞ申しける」 https://t.co/RFCTwFa8kt

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「誠に幾程なくて、清盛公物狂しくなり給ふ。これ讃岐院の御霊なりとて、宥め進らせんために、昔合戦ありし大炊御門が末の御所の跡に社を造つて、崇徳院といはひ奉り、並に左大臣(藤原頼長)の贈官贈位行はる」https://t.co/tpyee9ASiB

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天神(菅公)の祟りが落雷や関係者の病死など直接的な形で顕れるのに対し、崇徳院の御霊の祟りは平清盛の行動に影響するという政治的な形で顕れるのですね。「雲景未来記の事」で足利将軍兄弟や執事の行動に影響すると書かれているのも、『保元物語』の記述を踏襲したものでしょう。

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曲亭馬琴『椿説弓張月』より「椿説弓張月拾遺篇附言」
金毘羅と崇徳院に関する各種資料を抜粋してまとめた章ですが、馬琴はこの中で"唯世俗崇徳院を以(もつて)金毘羅とす"と書いています。 pic.twitter.com/JDLu0wcgwi

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