@itukanogenさんのツイートで教えていただいた読売新聞・日曜版(9月20日)の「一口メモ」。
『気多社古縁起』は気多大社の神宮寺だった正覚院に伝わった古文書で、気多大社の祭神の来住と歴史を主題とします。少し長くなりますが、概要を以下に記しましょう。 pic.twitter.com/T66OIy1V9y

— k.hisadome (@HisadomeK) September 23, 2019

・能登国一之宮の気多大神宮は日本第三の社壇である。
・祭神は素盞烏尊の御子の大己貴尊で、始めは出雲国に居住していた。
・孝元天皇の御宇、越中国に魔王の化鳥や大蛇が出現して人々を苦しめた。大己貴命は三百余神の眷属を率いて能登国に来臨し、化鳥と大蛇を退治した。 pic.twitter.com/I5m5S6DArL

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・崇神天皇の御宇に社殿が建立され、勅使が下向した。
・仲哀天皇の御宇に三韓が日本に攻めて来た。気多大神宮は九万八千の軍神を率いて戦い、干珠・満珠を用いて三韓を滅ぼした。
・仁徳天皇の御宇、武内大臣が勅使となり、気多大神宮の社領を加増した。

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・文武天皇の御宇、大伴家持が下向し、気多社に参詣して歌を詠んだ。
・元正天皇の御宇、泰澄大師が気多社を中興した。本社は大己貴尊で勝軍地蔵菩薩の垂迹、白山妙理権現の本地は十一面観音、若宮権現の本地は聖観音、楊田権現は不動八王子、大講堂の本尊は阿弥陀如来である。 pic.twitter.com/osX4sMRt6O

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・光孝天皇の御宇、一條柳原大納言が勅使となり、神前に常燈を寄進した。
・村上天皇の御宇、大雨が続いて洪水が起きた。各地の十六の大社の門戸を閉ざして祈ると、やがて雨は止んだ。この十六社には勅使が派遣された。気多社の勅使は安倍貞任で、門戸を開いて萬歳楽を奏し、鵜祭の儀式を拝見した。

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(続き)この時、神は浦の海士乙女に化現して勅使に神秘を語り、社壇に入った。また、一羽の鵜が空から飛来した。
・後堀河院の御宇、嘉禄三年八月十六日に禁裏と伊勢内宮が炎焼し、両所の造料を掛けることになったが、当社領は神の威力が他と異なるので免除された。 pic.twitter.com/Wrbg5nPO9Z

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・後醍醐院の御宇、建武年中に気多社が大破に及んだ。勅使が有り、社頭の修造を行った。
・当社より禁中への聞達が有る時は、勧修寺殿・万里小路殿が伝奏する。
・当社の神は天竺では金毘羅神として釈尊の仏法を守護し、祇園寺(祇園精舎)の地主権現として祀られた。

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この中で室町期に関するものは、建武年中に気多社が大破して社頭の修造を行った記事だけですね。
「不思議な玉」と言えそうなのは、気多大神宮が「飛行自在」の干珠・満珠を用いて三韓を滅ぼした記事くらいでしょうか。

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干珠・満珠は彦火火出見尊が海神から授かった潮涸瓊・潮満瓊(『古事記』では鹽乾珠・鹽盈珠)に相当します。
『八幡宇佐宮御託宣集』の引用する阿蘇縁起によると、神功皇后は胎内の太子(後の応神天皇)を龍王の娘の婿とすることを約束し、龍宮から乾珠・満珠を借りて三韓を討ちました。

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『気多社古縁起』で気多大神宮が干珠・満珠を用いて三韓を討ったのは、これらの神話・説話のヴァリアントと言えるでしょう。

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