雨宝童子が天照大神と習合した時代・経緯ははっきりしません。
— k.hisadome (@HisadomeK) December 12, 2019
斎藤英喜『アマテラス』によると、寛延三年(1750)に朝熊山金剛證寺の開帳の時、「天照太神影向尊像雨宝童子」という幟を立て、天照大神十六歳の姿と宣伝し、神宮からクレームがつくという事が有ったそうです。 https://t.co/G3wYUWqDBm
この開帳の時に金剛證寺が配布した『伊勢朝熊岳略縁起』。「雨宝童子ハ天照大神とあらわれ給ひ……」と書かれており、金剛證寺の所伝では雨宝童子が天照大神と習合していた事が判ります。
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ちょっと面白いのは、この天照大神は内宮(この略縁起では宇治宮)の祭神ではないという事です。 pic.twitter.com/pqSnZsG8ls
天照大神は伊雑宮(この略縁起では五十宮)の祭神で、内宮の祭神は天孫大神=星太照大神=亜肖気尊(ニニキノミコト)=明星天子=虚空蔵菩薩とされています。つまり、『先代旧事本紀大成経』の三宮説の影響を受けているのですね。
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神宮のクレームはこっちに対するものじゃなかったのかなあ? pic.twitter.com/zMLqmcH8Pn
「足下に白狸を踏む」雨宝童子の形像の出典が判明しました。
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久保田収「天照大神と雨宝童子」によると、空海に仮託された偽書『雨宝童子啓白』(乙本)に、以下の記述が見られるそうです。
延暦22年3月、空海は入唐伝法の心を発し、神助を願って皇大神宮に参詣しました。 pic.twitter.com/R4WZssSi6r
すると何者かが影向し、空海がこれに祈ると、日輪の中に立って白狸に乗った白衣の童子が「我はこれ雨宝童子なり」と告げました。
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つまり、皇大神宮に参詣した空海の前に影向した雨宝童子の姿を描いたのが「足下に白狸を踏む」形像だったわけです。 pic.twitter.com/oGfq4scB1v
久保田収『天照大神と雨宝童子』によると、神宮側のクレームは「朝熊岳縁起之内、伊雑宮を五十宮と称し、天照太神、天孫太神、遍照豊受抔と申立候文言、全躰旧事大成経之趣ニ而御座候」だったそうです。 https://t.co/kiRGM7b3Wt
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