修験道で尊崇された蔵王権現ですが、古くは「金剛蔵王菩薩」と呼ばれていました。
後周時代の顕徳元年[954]に成立した『義楚六帖』の中に「本国都城南五百余里有金峯山、頂上有金剛蔵王菩薩、(中略)菩薩是弥勒化身、如五台文殊」と書かれており、当時の中国でも知られていた事が判ります。

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大峯山を修行の場とする修験者の内、吉野から逆峯する一派(後の当山派)は南都の興福寺と深い関係を有していました。
興福寺を本山とする法相宗は弥勒を祖師と仰ぎますが、金峯山を弥勒下生の霊地、蔵王菩薩を弥勒の化身とする説も、法相宗の弥勒信仰と関係が有るのかもしれません。

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一方、蔵王菩薩を釈迦の化身とする説も有りました。
『扶桑略記』の天慶四年[941]三月条に引用された道賢上人冥途記では、金峯山中で修行中に仮死状態になった道賢(日蔵)の前に蔵王菩薩が和尚の姿で現れて「我是牟尼化身、蔵王菩薩也。此土是金峯山浄土也」と告げました。https://t.co/xRes4k3u4p

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『神道集』の「熊野権現事」は「金峯山の象王権現は、三十八所なり。御本地は、当来導師の弥勒慈尊これなり」と弥勒説、「吉野象王権現事」は「そもそも象王権現は、本地は釈迦如来これなり。摩耶夫人の胎内へ入りたまひし時は、白象の形にて託生たまひし故に、象王と云ふなり」と釈迦説を採ります。

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文観『金峰山秘密伝』では、役行者が末代相応の仏を祈念した時、釈迦・千手観音・弥勒の後に金剛蔵王権現が湧出し、「釈迦は過去、身密の仏。千手観音は現在、語密の仏。弥勒は当来、意密の仏。三仏が合して一身と現れ、金剛蔵王と為る」と説きます。https://t.co/TtU4N7k5BP

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この説に基づき、現在の金峯山寺では、三体の金剛蔵王大権現の中尊の本地を釈迦、右尊の本地を千手観音、左尊の本地を弥勒としています。https://t.co/cpQv2Y2JsH

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蔵王権現は各地に勧請されましたが、私が調べた範囲では、釈迦か弥勒を本地仏とする例が多いようです。
例えば、
・武蔵御嶽神社(東京都青梅市御岳山) 釈迦
・金桜神社(山梨県甲府市御岳町) 釈迦
・金峯神社(山形県鶴岡市青龍寺) 釈迦
・金峰神社(鹿児島県南さつま市金峰町) 弥勒

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千手観音を本地仏とする例は少ないのですが、孔大寺神社(福岡県宗像市池田)の蔵王権現は千手観音(現在は梅谷寺に移管)を本地仏としていました。https://t.co/mAvhrGnQ2k

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蔵王権現から派生した尊格として木曾御嶽山の「座王権現」が有ります。
天正二十年[1592]の縁起には「座王権現と申は現世にてみろく菩薩也、今生にては権現也、後世にては釈迦如来とけんして衆生をさいどうしたもう」とあるそうで、この時代は蔵王権現(弥勒・釈迦説)と同様だったようです。

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江戸時代に御嶽講が盛んになると、「天地開闢太元尊神国常立尊阿字所現忿怒身御嶽山座王大権現」は蔵王権現とは別個の神格で、「阿字」即ち胎蔵大日如来と同体と説かれました。
万延元年[1860]には、江戸本所回向院で御嶽山座王大権現の本地仏大日如来の出開帳が行われたそうです。

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石鎚神社(愛媛県西条市)も元は蔵王権現を祀り、前神寺(四国八十八箇所の第六十四番札所)の本尊・阿弥陀如来を本地仏としていました。
神仏分離後は石土毘古命を祭神としますが、仁・智・勇の神徳を表す三体の神像を祀るのは、蔵王権現を祀っていた時代の名残でしょう。https://t.co/dURKeYpNpW

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また、蔵王権現をどの垂跡神に宛てるかですが、天野信景の随筆『塩尻』には「大和国金峯山蔵王権現は吉野に立、安閑天皇皇陵也。蔵王権現は宣化帝三年吉野に現すといへり。此山弥勒仏の出世と云々」「諸社考、和爾雅に金峯山の神は少彦名命と記せり」と書かれています。https://t.co/WF09Fgx03F

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この安閑天皇説は、和風諡号「広国押武金日天皇」に基づき「金日」と「金峯」をかけた説のようです。語呂合わせにもなっていない気がしますが、神仏分離後には多くの神社(旧・蔵王権現社)で安閑天皇が祭神とされました。

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一方、少彦名命説は、吉野金峯山の地が古代に仙境「常世の国」と考えられた事によるのかと思います。

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林羅山『本朝神社考』にも「世に伝ふ、金峯山の権現は、勾大兄国押武金日の天皇なりと」と安閑天皇説が紹介されていました。https://t.co/q1FWNA0cmQ

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偽書として有名な『先代旧事本紀大成経』巻二十九(帝皇本紀上巻上)には、宣化天皇三年秋八月に勾大兄天皇(安閑天皇)の魂が金峯山に現れた事が記されています。
『塩尻』の「蔵王権現は宣化帝三年吉野に現すといへり」は、この記述を踏まえたものでしょう。 pic.twitter.com/kDvTeGhyKt

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『役公徴業録』では、役行者が祈念した時、最初に弁才天女が降臨して天河に祀られました。次が地蔵菩薩が出現して芳野の川上(吉野郡川上村の金剛寺)又は伯耆の大山(大神山神社・奥宮)に祀られました。最後に金剛蔵王(釈迦・観音・弥勒の合体)が湧出しました。https://t.co/5AaT0kZTxA https://t.co/b4uaAUkgS6

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