『麗気記』(降臨次第麗気記や豊受太神鎮座次第)によると、豊受大神は最初に淡路の三上嶽に降臨し、その後、布倉、八輪嶋、八国嶽、丹波の吉佐宮に遷座したと記されています。
— k.hisadome (@HisadomeK) January 23, 2022
吉佐宮(外宮の元宮)も諸説有りますが、それ以前の三上嶽等はどこに比定されるのだろう?
淡路の地誌を調べてみました。
— k.hisadome (@HisadomeK) January 24, 2022
先ずは『淡路草』第八巻https://t.co/OPpnMFgTlF
先山の項に「村俗曰伊勢神宮ハ旧御神嶽に祭れるを丹波国与謝郡に遷座し其後伊勢国に移せし故に当処を伊勢の旧地也と」と書かれていました。
この御神嶽が三上嶽でしょうか?
同じく『淡路草』第一巻https://t.co/9XjMrGvb6u
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三上嶽の項に「先山を惣して三上か嶽と云し」「祭る所一座豊受御神也」とあります。
この書が編纂された頃は、先山=三上嶽=御神嶽と考えられていたようです。
『淡路常盤草』巻之八https://t.co/AkvVE1RzaZ
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先山の項に「東の別峯を三上岳と称す三上は即先山の旧名なるへし」とあり、『麗気記』が引用されています。
『麗気記』が作られた時期にどうだったかわかりませんが、『淡路草』や『淡路常盤草』が編纂された江戸時代後期には、三上嶽(御神嶽)とは先山の旧名であり、『麗気記』に説く豊受大神降臨の地と認識されていたようです。
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