ベンチのある文芸
 
秋と漫歩

萩原朔太郎
 
 私はどんな所でも歩き廻る。だがたいていの場合は、市中の賑(にぎ)やかな雑沓
(ざっとう)の中を歩いている。少し歩き疲れた時は、どこでもベンチを探して腰を
かける。この目的には、公園と停車場とがいちばん好い。特に停車場の待合室は好い。
単に休息するばかりでなく、そこに旅客や群集を見ていることが楽しみなのだ。時と
して私は、単にその楽しみだけで停車場へ行き、三時間もぼんやり坐っていることが
ある。それが自分の家では、一時間も退屈でいることが出来ないのだ。ポオの或る小
説の中に、終日群集の中を歩き廻ることのほか、心の落着きを得られない不幸な男の
話が出ているが、私にはその心理がよく解るように思われる。私の故郷の町にいた竹
という乞食(こじき)は、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子(ひとりむす
こ)でありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎(いなか)の
家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。

底本:「猫町 他十七篇」岩波書店、岩波文庫
   1995(平成)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集」筑摩書房
   1976(昭和51)年


 より