ややこしい話に挑戦
渡米直後は考えもしなかったのだけれど、周りの友人たちとの距離が短くなるにつれ、
そして、英語の表現力が向上してくるにつれ、少しややこしい(微妙な)話題に挑戦したくなってくる。
例えば、最早一般的な日本人にとってさえ、過去のものになりつつあるクジラ肉だが
アメリカにおいて、”日本人=クジラを食べる”と言うのは驚くほど浸透しており
冗談めかした口調ではあるけれど、クジラのことを話題にしたがる人も多い。(ホントにビックリするくらい)
最初は、こちらも遠慮があるし余計なことを言って叩かれるのもいやなので、
”まあ昔は食べてたけどね”くらいのことしか答えていなかったのだが、
最近は、多少の誇張を含めてなるべく突っ込んだ話をするように心がけている。
曰く、”クジラは油も少なくて非常に健康的だと思うし、ちゃんと料理すると美味い”、
”日本が商業捕鯨の再開を希望している種は、すでに個体数が増えすぎつつあるミンククジラだ”、
”日本人は取ったクジラをそれこそ髭に至るまで有効利用している”、
”かたや、アメリカやヨーロッパの国は鯨油だけ搾り取って残りを捨てていた”
”無茶な乱獲でクジラを絶滅寸前にまで追い込んだのはアメリカ、ヨーロッパの国々、
鎖国末期の江戸幕府を開国に追い込んだペリー艦隊はクジラ捕獲のための港を探していただけ”、
”自国のアラスカエスキモーには文化だ、という理由で捕獲を許しているじゃないか”
挙句の果てには悪乗りして、”口蹄疫と狂牛病で牛肉が食べれなくなったらクジラの出番だね”などなど。
ソースはインターネットなので、いささかの間違いはあるかもしれないけど、少なくとも自国の
報道だけで捕鯨の是非を判断している人たちには、それなりに新鮮なようだ。
このクジラの話題以外にも、同僚にはドイツ人がいるので
例えばパールハーバー、ヒットラー、ホロコースト、日系人のキャンプ収容、原爆を含めた第二次世界大戦の話、
さらに、これまたグループ内にはプロテスタント、カソリック、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教と揃っているので
宗教談義、加えてこれは流石に稀だけど人種差別の話。決して相手を非難するのではなく
各々が少し引いた立場で、明らかに見方の異なる話題で議論してみると、
外国人(異なる社会の価値観、文化背景で育った人々)との会話の醍醐味を味わえる。
英語の学習はこの先ももちろん可能だし続けるつもりだが、それ以上に、自国の文化、価値観以外の存在を
実感させてくれる、この機会を何よりも大切なものに感じている。