春の訪れを告げるもの!?
渡米前であれば、春を感じさせる代名詞と言えばやはり桜に止めを刺す。
もしくは、住んでいた場所の近所に有名な梅園があったから
桜より一足先に梅(を見に行く人達の車の列)が、春の到来を教えてくれていたかもしれない。
一年前、関西に桜が咲き始める頃にちょうど日本を離れてやってきた僕を待っていたのは、
一枚の葉もついていない木々と茶色の芝生、絵に描いたような冬の景色であった。
で、追われる生活のふと気づくと周りには緑があふれかえっていた。
今年は冬を越してきたという自負があるし、何よりも周囲を見渡す余裕もある。
灰色に煤けた木の枝に真っ赤なつぼみがつき、牧草の緑が日に日に眩しくなってくる
様子が目に新しい。四季が自慢のはずの日本にいた時でさえ、これほどまでに極端な景色の移りに
感嘆したことは無かった。まさに再生と言う言葉がふさわしい。
すべての山を真っ赤に染める紅葉は、冬がくれば全ての木々が葉を散らすことを示しているが
全ての景色が灰色と茶色で覆われてしまう冬もまた、春の命の再生を最大に盛り上げてくれるようだ。
と、ココでやめれば、田舎暮らし初心者のにわか自然愛好家そのままでいられるのだが、
最近一ヶ月ばかりの生活のなか、春の訪れももっともダイレクトに教えてくれるものは、
ありとあらゆる道路上に見つけられる小動物の轢死体である。
リス、テン(いたち?)、スカンク(臭い付き)。中でもリスは本当に数が多い。
彼らのような小動物が冬眠を取るかどうかは知らないが、少なくとも冬の間の活動量が
極端に少ないことは間違いがなく、姿を見かけることはまず無かった。
長い冬が終わって、お腹も減ったし、さあお出かけだ!と喜び勇む彼らが
突然のクルマの出現で命を散らせていく様を想像するとさすがに心が痛む。
記憶力が良いとは思えないから、冬の間に外界が危険な場所だということを完全に忘れてしまうのだろうか。
田舎に住むがゆえに人間が自然の営みに対して何をしているか、が
急に身近になったのは何とも言えない皮肉である。