研究者にお国柄はあるか
僕の属する研究室には現在8人の研究者と2名の交換留学生がいる。
内訳は、アメリカ人3名、ドイツ人1名、ロシア人2名、モロッコ人1名、そして僕。
交換留学生は2名ともドイツ人である。
プライベートでのお国柄の露出は、もちろんある。
下らない冗談を言うことに全精力を傾けているかに見えるアメリカ人、
ちゃらんぽらんに見せかけて妙なところで頑固さを発揮するドイツ人、
とにかく訳が分からないロシア人、
イスラム教の戒律バリバリのモロッコ人。
そして英会話学校の先生たちからも漏れ聞こえてくる、無口で礼儀正しい日本人。
だが、研究者として実験を共にしたり、グループミーティングでディスカッションしたり
するときには、彼らが何人であるかということはほとんど表に出て来ない。
もともと自信過剰気味なのがアメリカ人の特徴であるとは思うけど、
いっぱしの研究者になれば自信過剰気味なのは当たり前でさほど彼らは目立たない。
こちらに来る前は、外国人ならではの着眼点や目標へのアプローチなどについて
学ぶ点も多かろうと期待してきたが、それを実感した事も無い。
むしろ企業の研究所で5年間実務的な開発業務に携わってきた僕と、
純粋な研究者である彼らのギャップに戸惑うことの方が多い。
結果に対する慎重さ、安全に対する意識、コストの感覚、
商業化を視点に入れた検討 などなど・・・
そう、大学の教育システムも、そして少なくとも一般的な学部学生の
学ぶということに対する考え方も、日本とアメリカではずいぶんと隔たりがあるのは
事実だが、研究者として一つの事象に立ち向かう姿勢には
国境も国民性も民族も人種も関係ないと思い知らされた9ヶ月である。
ここで学ぶべきことは、外国の研究者の研究姿勢ではなく、
純粋に研究者たるにはどうあるべきかということなのだろう。