もう一度遊びたい・・・

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なんてタイトルをつけると、如何にもバリバリのワーカホリックのせりふに聞こえたりもするが、

このHP全体に渡って紹介しているように、今も寝る時間を削ってまで遊んではいる。

でも、小学生に上がる前の幼少の頃から今に至るまで、心に深く刻み込まれて、かつ

今では少し遠いものになってしまった遊び達をふと思い出し、

もう一度あの楽しさにつかることが出来たら、、、とふと思うことがある。

 

物心ついてからの遊びの中で、もっとも心に強く残っているのはLEGOブロックだ。

超合金ロボやミニカーなどの当時の遊び友達が持っているようなおもちゃにはあまり縁が無く

彼らをうらやましく思うこともあったと記憶しているが、何と言っても僕にはレゴが一番だった。

一日何時間でも作っては壊し作っては壊し、弟と部品を取り合い(イヤ、オトウトカラブヒンヲトリアゲの間違いか?)

を繰り返していた。LEGOは今でも健在だし、最近は稼動部品付きのレゴで組んだロボットに

PC経由でシーケンスを書きこみ行動させる、というハイテク商品まで登場している。

しかし何年たってもLEGOのブロックの規格は不変であり、全ての源にあるのは子供(大人も)の

想像力である、という基本も変わらない。

子供が出来たときのおもちゃ候補No1であり、その時に僕もLEGOと再会できそうだ。

 

小学生時代の外での遊びの代表格といえば”かんけり”と”ジュンサンボッケ”であった。

ジュンサンボッケとは何ぞや?標準語的に言えばケイドロ、あるいは泥棒と警察、ようはチーム対抗鬼ごっこである。

当時はそんなことを考えもしなかったが、家と家が密接し、道路は車が入りこむことさえ出来ないほど狭い、

そういう町でこの時代を過ごせたことは幸せだったと思う。まさに町自体が迷路であり、

誰の家の近所で上述の遊びをやるかで随分と趣が変わったものだ。

月並みな意見であるが、こういう遊びが出来る場所がどんどん減ってるのは寂しい限りだ。

 

いきなり飛んで大学時代である。大学時代は時間のめちゃくちゃな使い方が出来たおかげもあって、

ココには書かない沢山の覚えなくてもすんだ遊びを覚えた。

その中には入らないが、大学1、2年の教養課程のときに友人たちと猛烈に嵌った

ナポレオンというトランプゲームは未だに僕の中で最高の地位にある。

ルールが少しややこしいのと、参加人数を選ぶことから、その後ほとんどプレイする機会を得たことが無いのは残念な限りだ。

先日ふと思い立ってインターネットの検索エンジンで調べてみたら、関連ホームページも多く、

ルールも細かく説明してあったので、ぜひ参加者を集めてもう一度やってみようと思う。

 

お次は知る人ぞしる”タホイヤ”という遊びである。僕が初めてこのゲームを知ったのは

大学院の2年生の時にテレビの深夜番組(番組名タホイヤ)を通じてである。

こちらも(驚くべきことに)関連HPは非常に多く、詳しい説明はそちらに譲るが

端的にいうと国語辞典(広辞苑がベスト)を用いた究極の言葉遊びとでも呼べようか。

ゲーム名になっているタホイヤという言葉を漢字で書くと田追い屋(記憶怪しい)となり、

意味は田に侵入する猪を見張り、追い払うための小屋。

この言葉のように広辞苑には平仮名で書いてしまうとさっぱり分からない言葉が星の数ほど載っている。

プレイヤーの一人(親)が辞典からこの手の言葉を一つ選び出し、他のプレイヤー(子)は

その言葉の意味を自分で考え、如何にも広辞苑に載っていそうな文体で全文平仮名を用い紙に書く。

親は広辞苑に載っている正解を同様に全文平仮名で紙に書く。

親が正解と嘘八百それぞれの紙を集めそれを音読し、他のプレイヤーはどれが正解かを当てると言うものである。

少しややこしい点数の受け渡しもあるが、そんなものが無くても十分楽しめる。

自分の考えた嘘の答えを他人が広辞苑に載っている正解だと信じた時の快感は何ともいえない。

大学の研究室の仲間と何度か遊んだが、以上に時間がかかるの(一問30分当たり前)と、

残念ながらどんなタイプの人間にも楽しめると言う類のゲームではなかったため

すぐに廃れてしまった。

時間とメンバーさえ揃えられるなら今一番やってみたい遊び、である。

 

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