English 5
Discussion
長い英語は喋れない。
さすがに英語オンリーの研究室で1年も過ごすと、いくら独学量の不足している僕でも、
それなりに英語でコミュニケーションする力がついてくるものらしい。
昼食時の会話やオフィスで何気なく交わす冗談交じりのトーク程度なら
あまり苦に思うことも無くなってきた。
この手の会話は、基本的に言っていることが全然難しくない上に
どうしようもなくどうでも良い事であることがほとんどなので、
少々伝えそこなっても何の問題も無い、という安心感が
会話のスムーズさを助けているように思う。
また、日本語で話す時だってそうだが、日常会話はセンテンス自体がテンプレート化している場合が多いので、
いちいち文法に気を配ったりしなくても、何となく、で何とかなってしまうことも多い。
もっとも慣れだけがポイントのこういった英語力は帰国とともに消えてしまうのも見えてはいるが。
さて、どうでもよい会話はどうでも良いとして、
実際に研究に関連した場面での英語というと、それはもう酷いものだと自分で思う。
ディスカッションやスピーチの場面では、少しでも正確に伝えたいと言うプレッシャーがあるし、
こういう場面ではどうしても説明口調(すなわち論文口調)の英語が頭に浮かんでくるので、
やたら関係代名詞がたくさん登場してきて、一文が長くなる。
一文が長い上に考えながら喋っているため、いったい自分の喋っている文章の主語が何であったかさえ、
途中で忘れてしまうこともしばしばである。
何よりも深刻なのは、僕は日本で仕事をしていた時に、
自分の考えを整理するための一つの手段として、他人に喋る(あるいは議論を投げかける)、
という行為を習慣化させていたのだが、
この肝心の他人に喋るという行為の部分に、大いに不自由さを感じる今、
自分の思考能力そのものが大幅に低下してしまったように感じることが多い。
もともと自分の考えをしっかりまとめてから言葉を選んで慎重に話しをするタイプの人なら
到底持つはずの無いジレンマに悩まされているような気がしている。
また、スピーチをグループ内でしたときの受け答えにしても、
会社時代の日本語でのその場で言葉を搾り出しながらの対処療法、という作戦が
全く使えないので、なんだか淡白な発表になってしまって、自分に失望することがしばしばである。
これを機会に、例えば喋る前に考えをまとめて慎重に喋る能力や、
発表の前に質疑応答まで含めて発表内容を練る、などの新たな習慣の
開発にいそしんでもよさそうなものだが、
その根性さえ出てこない自分の怠惰さにまたしても嫌気が差してきてしまったりもする。