そもそも蘭栽培なぞと言うものは、マニアックな、金持ちの、実に高級で、大変に難しいものだと考えていた。「NHK趣味の園芸」を読んでも、やたらめったら種類はあるし、暑さに弱いだの、寒さに弱いだの、水がどうのこうのと、「うるさい事ばかり書いてあるなあ」「まあ、無理だな」と思って見ていた。一旦そう思って見ていると、そういう目でしか見えなくなるようで、例え「栽培は簡単である」とか「素人にも立派に育てられる」とか書かれていても、当時は「まあ、無理だな」としか思えなかったのである。今では、「簡単だ」と書かれていれば早速見切り品を探しに行く(早速買いには行かない)ようになってしまったのだが...。


 私が、初めて蘭なるものを育てたのは、たまたま見つけた見切り品(実はこの時から既にケチケチ蘭栽培のケチケチの部分が芽生えていた)を見つけて、「だめになって元々、たいした金額じゃないし」と言う軽い気持ちからだった。 もちろんそれまでに「NHK趣味の園芸」の読者だった私は、蘭がどんなもの(どんな格好をしてる)かくらいは知っていたのだが、ミズゴケなんてものも使い方は全くの初めてだった。当時「ファレノプシス」が何度見ても覚えられなかったし、舌を噛みそうだったのを覚えている。


 その時買ったものが「デンドロビューム ”家(俗称)”」である。その株はマグカップに植えられてたのだが、「水がはけなきゃいくらなんでも」と思い(そのくらいの常識はあった)、鉢に植え替えたように記憶している。1997年か1998年頃かなぁ。これが翌年まで生き残って、花まで咲かせたお陰で「蘭も案外いけるやん」と思い始めたのである(余談になるが、たまたま一回うまく行くと、変に自信を持つ悪い癖が若干あるのだが、我が息子にはこの癖が実に色濃く出てしまっている。まあいいけど...)。だがしかし、まだまだ蘭に「はまる」には程遠い状態であった。



 2つ目と3つ目の蘭の前後関係は甚だ曖昧なんではあるが、ひとつは「デンドロビューム キンギアナム ”クリニック”」(HPにあるのはその子孫である)を頂いた事である。当時勤めていた会社のクリニックに蘭と思しき鉢が飾ってあり、真っ白のいい香りの花が咲いていた。私は一節だけ貰って挿し木したいと思い、「一節もらえますか?」と看護婦のOさんに頼んだ所、あっさりその鉢毎頂いてしまったのである。「家には幾らでもあるから」と言われたのだが、今ならば納得するものの、当時は「こんなすごいもん貰てええんやろか?」との思いが強かった。結局はホイホイと貰って帰ったのではあるが...。この鉢もすこぶる丈夫で、未だに毎年たくさんの花を咲かせてくれている。

 もうひとつが「シンビジューム ”ボーイ”(俗称)」(HPには掲載されていない)で、ボーイスカウトの「スカウトフェスタ」会場のバザーで購入した。バザーも終わりかけに余っていた「君子蘭」と「シンビジューム」を「まとめて何ぼ」で買って帰った。「君子蘭」はあっさり腐ってしまったのだが、このシンビジュームも元気な奴で、1年毎(手入れが悪い為だと思われるが、柿みたいに当たり年がある)に薄緑色のかすかな香りのある花をたくさん咲かせてくれている。

 今になって思えば、実に丈夫な蘭ばかりを狙ったように手に入れていた訳であり、これが功を奏してか今のように蘭に「はまる」下地を作った事になる。私が実際に蘭に「はまった」のは今年2002年になってからであり、当時(1997、8年頃)は前述の蘭を3鉢程持ってはいたものの、それ以上に蘭に手を出したりすることは無かった。他の鉢物と同レベルで管理していたし、特に分け隔てはしていなかった。

 2000年、私は東京転勤となり、単身東京(住んだのは川崎)へ出て行った。この時一緒に前述の「デンドロビューム キンギアナム ”クリニック”」の孫と、「デンドロビューム ”家(俗称)”」の子孫を、2..5号か3号鉢に別けた株を連れて行った。すぐに花を咲かそうとは思ってはいなかった。長持ちするし、小さな鉢ならばマンション暮らしでも世話ができそうだというのと、この頃には「蘭は強い!放って置いても死なない」と思い込んでいたのが理由である。特に枯れる事も無く、腐る事も無く、かと言って大きく成長もせず、花も咲かず、次の年2001年には静岡へと連れ立って行く事になった。

 静岡へ来て部屋が少し広くなった。ベランダも広くなった。花屋さんやスーパーの店先に見切り株が置いてあるのが目に止まるようになり、一鉢、二鉢と増え始めた。たまたま見つけた花屋さんには、実に安い株や見切り品が多く出るのに気付き、毎週チェックに行くようになったのは2002年になってからである。東京のオフィスに飾ってあったデンファレが花も終わり、捨てられそうになっていたのを出張の帰りに抱えて帰ったのも2002年の年明け早々だった。

 そうこうしているうちに鉢数も30近くになっていたが、カトレアや胡蝶蘭にはまだまだ手を出してはいなかった。そんな折、インターネットで遊泳中(サーフィンはした事が無い)に見つけたのが「小島さんのHP」であった。金を掛けず、名無しの株も大事にし、見切り品を品定めしつつ買おうか買うまいか悩み、自転車漕いでの蘭救出劇を演じ、日曜大工やら電気工作で面白い工夫を考え出す。甚く感銘してしまった。しかも文面からどうもご近所さん(静岡ではなく私の家の)らしい。すぐにメールでご挨拶、次に帰省の折りにはちゃっかりお邪魔して、お土産までごっそりいただいてしまったのである。

 こういう「大先輩」が現れて影響されると一気である。あっという間だった。遂に「はまった」のである。デジカメを買って蘭の写真を撮り始めるわ、負けじとHPまでこさえ始めたのである。今まで手を出していなかった「カトレア」「胡蝶蘭」にまで手を伸ばし、3ヶ月で鉢数は倍となってしまった。近場の蘭農場を探したり、洋蘭センターを訪問したり、最高最低温度計、湿度計を揃えては温度湿度を本気で気に掛けるようになり、繰り返しタイマーでファンは回すわ、温室にこそしていないが栽培棚を整備して、部屋の中の日当たりのいいベストポジションは植物園状態となってしまったのである。

2003/01