プロジェクト・エデン特別篇

   われた街  後篇

LARGEFIRE.GIF (47162 バイト)

 

 晴れ渡った空に、太陽が輝いている。

 その光が照りつける下には、焼け焦げた一

面の廃墟が広がっていた。かって病院だった

それは、今は瓦礫の山でしかない…。

 幾重にも張られたロープの向こうを、白い

手袋をはめた男たちが右往左往している。い

ずれも虹ヶ崎の警察署や消防署の人間であっ

た。昨夜の爆発の原因を探るために、徹底し

た現場検証が行われている真っ最中だ。

 「……」

 『立入禁止』と書かれた札の下がったロー

プの外側で、忠夫は黙ったまま立ち尽くして

いた。横には同じように青ざめた顔の唯が寄

り添っている。

 「お兄ちゃん…」

 「大丈夫だ…。心配すんな」

 そう言うものの、忠夫の表情は強張ったま

まである。寝不足のためか、目は真っ赤に充

血していた。唯も同じだが、それは泣きはら

した後の赤さでもあった。

 昨夜に爆発が起こり、それがアスラの隠れ

家となっていた病院だと知った時の衝撃は今

でも全身に残ったままである。必死で抑えな

ければ、体の震えは収まりそうにもない。

 事件の後、すぐに駆けつけた忠夫たちの目

に飛び込んできたのは瓦礫の山と化した病院

であり、そこかしこにチラつく炎と煙であっ

た。消化活動を続ける消防士たちによって一

般市民は現場に近づくことを阻まれ、アスラ

の安否を確かめることは不可能であった。

   そして、今…。

 いまだにアスラは現れていない…。

  これだけの事があったのだから、もし無事

なら忠夫たちの所へすぐに現れるはずであっ

た。

 だが、アスラの姿は何処にもない…。

 それの意味することが判らない二人ではな

い。胸が張り裂けんばかりの思いだった…。

  「これから…、俺たちは一体…」

 そう忠夫が言いかけた時、

 「お兄ちゃん!」

 急に唯が忠夫へとしがみついてきた。

   「な、何だよ…唯…、…

 言いかけた言葉はまたしても途切れた。

 彼に見覚えのある人物が、ゆっくりと近づ

いてくる様子が見えたからである。

 「よぉ、中山忠夫じゃないか…!」

 と声をかけてきたのは、ミレニアム帝国の

幹部の一人であるロキだった。

 「ロキ…!」

 忠夫が唯を背中にかばいつつ、警戒する。

 「おいおい、こういう人の多い場所では気

をつけてくれよ。俺はお前たちの通う青雲塾

の講師『岩間』なんだからよ」

 「それは偽名じゃないか!」

 「そりゃそうなんだけどさ。ま、どっちで

もいいや」

 手にしたプラスチックパックからタコ焼き

をつまむと、ロキは口へと放り入れた。

 「何をしに来たんだよ…?」

 「ちょっと、訳ありでな。それよりも、ア

スラの居場所を知らないか?」

 ロキは普通に質問したのだが、それに対す

る忠夫たちの反応は異常だった。

 ブルブルと震える忠夫、そして軽く嗚咽を

漏らす唯。その反応にロキが首を傾げる。

 「おいおい、どうしたって言うんだ?」

 「……」

 「アスラがどうかしたのか?」

 ロキの問い掛けに、忠夫は黙って顔を廃墟

の方へと向けた。

 「まさか…」

 墓標のように突き出した鉄骨も生々しい廃

墟を見ながら、ロキはつぶやいた。

 「おい。ここがアスラの隠れ家だったと言

うんじゃないだろうな!」

 それに対する忠夫の返答は、無言のうなず

きであった。

 「何てこった…」

 深刻そうに言いながら、さらにタコ焼きを

口へ放り込むロキであった。

 「これじゃ、フレイヤもダメだなぁ」

 「何だって?」

 今度は忠夫たちが驚く番だった。

 「ロキ。この爆発の原因について、何か知

っているんじゃないのか?」

 忠夫が聞く。

 「俺もよくは知らんよ。ただ、ウチの隊長

は『アスラに会いに行く』と言って、基地を

出ていったのさ」

 「じゃあ、フレイヤもここに?」

 「たぶんな。それにしても、派手にやった

もんだよなぁ」

 廃墟を見渡しながら、しみじみと言う。

 「どうして、こんな事に…?」

 肝心なことを唯が聞いた。

 「判らん。ただでさえ仲の悪い二人だし、

たぶん相討ちにでもなったんだろ」

 ロキの口調はどことなく嬉しそうに聞こえ

た。フレイヤが爆発に巻き込まれたことに対

する同情は感じられない。

 「そっちのフレイヤも行方不明なら、一緒

に探してくれよ」

 忠夫が言うと、ロキは首を振った。

 「ダメダメ。フレイヤがいなくなったから

と言って、俺たちには仕事が残ってるんだ」

 「仲間なんだろ!」

 「おじさんは忙しいんだよ。何しろ、未来

から危なっかしい機械を持ち込んだバカがい

るもんでな」

 「トールハンマーとか言う機械だろ?」

 「ほぉ、知ってたのか?」

 「まあね。この街に住む人達の心を破壊し

ようと企んでいるとか聞いたよ」

 「それは話が早い。と言う訳で、俺はそい

つを探さなきゃいかんのだよ」

 と手にした機械を見せた。

  携帯テレビのような機械の画面には、幾何

学模様に似たリボンのような図形が踊っている。

 「それは?」

 「トールハンマーが出している電磁波だけ

を探す機械らしい。こいつを使えば、簡単に

発見できるとか言ってたな」

 「本当なのッ?」

 唯が身を乗り出すようにして言った。

 「ウソついたって、仕方ないだろ」

 ロキの言葉に忠夫と唯は顔を見合わせた。

 二人は目と目で語り合う。

 そうなのだ!

  例えアスラがいなくなってしまっても、自

分たちにもやらなければならない使命がある

のだ。

  トールハンマーを見つけ出し、この街を救

うという使命が…!

 二人はウンとうなずきあう。

 「その機械を貸してくださいッ!」

 忠夫がいきなり頭を下げられて、ロキは口

へと入れかけていたタコ焼きを吹き出してし

まった。ゲホゲホとむせる。

 「な、何を言いだすんだ?」

 「俺たちもトールハンマーを探しているん

だ。理由は違っても、目的は同じでしょ」

 図らずも、忠夫が口にしたのはフレイヤと

同じ説得の言葉であった。

 「まあ、そりゃそうだな…」

 「私たちがロキさんの代わりに、その機械

を探すわ。なんだったら、見つけるまで休ん

でてくれてもいいわ」

 唯も一生懸命に訴える。その熱意にほださ

れた訳ではなく、『休んでていい』という言

葉がロキの心を揺さぶった。

 「ほ、本当かよ?」

 「本当だよ。ちゃんと探すからさ!」

 「い、いや…、しかしなぁ…」

 ロキがやや躊躇したように言う。

 「おじさんも疲れたでしょ。少し休んだ方

がいいわよ。もし見つかったら、すぐに知ら

せに行くから!」

 唯の説得は実に巧妙であった。まるでロキ

の心を見透かすかのように、うまくリードし

ながら心を揺さぶっていく。

 「ほ、本当だな。見つけたら、ちゃんと知

らせるんだろうな?」

 「約束する!」

 忠夫の力強い一言に、ついにロキは追跡装

置を手渡すことに同意したのだった。

 使い方を簡単に教えると、あっさりと忠夫

たちはそれを理解した。マニュアルも読まず

にテレビゲームを始める現代の小学生には、

これぐらいの機械操作は朝飯前なのだ。

 自分よりも子供の方が理解が早いことに、

思わず苦虫を噛みつぶしたような顔をするロ

キであった。

 「じゃあ、俺はあそこのベンチで待ってい

るからな。見つかったら、ちゃんと教えに来

るんだぞ!」

 病院の脇に見える公園を指さしながら、ロ

キが忠夫たちに念を押した。

 「任せてくださいッ!」

 忠夫が力強く答える。もちろん、心の中で

は舌を出しているのだが…。

 その言葉にロキは二人の工作員を連れて、

公園の方へと歩き去っていった。

 「…うまくいったね、お兄ちゃん!」

 ロキの姿が公園の奥へ消えるのを見計らっ

て、唯が言った。笑いをこらえている。

 「ああ、こんなにうまく引っ掛かるとは思

わなかったけどな。あのロキとかいうオッサ

ン、どこかヌケてるよ」

 忠夫が機械のスイッチをONにした。

 電磁波パターンが画面に浮かび上がる。

 「これさえあれば、アスラの代わりにヘイ

ムダルの企みを止められるさ」

 「アスラの代わりにね…」

 唯が哀しそうに言う。

 「しっかりしろよ、唯。俺たちががんばら

なきゃ、死んだアスラも浮かばれないぞ」

 「アスラはまだ死んでないわ!」

  激しい声で唯が忠夫の言葉を遮る。

  「唯…」

 「アスラは死んでない。そうでしょ?」

 「そ、そうだよな。ゴメン…」

 忠夫が素直に謝る。行方不明なだけで、ア

スラはまだ死んだと決まった訳ではない。そ

のことに一縷の希望を託す二人だった。

 「よし、行くぞ!」

 「うん!」

 忠夫と唯は追跡装置を手に、街へと駈けだ

していった。

 

 その頃、ヘイムダルの方にも思いがけない

事態が起こっていた。

  廃病院から戻ってみると、しっかりと隠し

ておいたはずのトールハンマーを見知らぬ二

人の男が調べていたのである。男たちはテス

ターを手に、色々と機械をいじくり回してい

るようだ。

  誰も近寄らないはずの暗い路地の奥に隠し

たと思っていただけに、ヘイムダルの衝撃は

大きかった。

 「お前たちは、何をしてるんだッ!」

 ヘイムダルの鋭い叫びに、二人の男がビッ

クリしたように振り向く。青い作業服を着た

電力会社の作業員のようだった。

 「君は誰だ?」

 年配の作業員の方が尋ねた。

 「質問してるのはこっちだ。そこで何をし

ているんだッ?」

 必死の形相のヘイムダルに、作業員たちは

面食らった様子で顔を見合わせた。

 「実はこの横にあるビルのオフィスで、コ

ンピューターのデータが全て消えてしまった

らしいんだ。原因が判らないので、ビルの周

りを調べていたんだよ」

 年配の男が徐に説明する。

 「コンピューターが?」

 「ああ。何らかの強い電流か、磁気を浴び

たのではないかとビル付近の高圧線や配電設

備をチェックしていたんだ」

 「そしたら、ここの路地に変な機械が置い

てあるのを見つけたって訳さ」

 若い方が、トールハンマーを手でペチペチ

と叩きながら言った。無知とは無敵だ。

 「それに触るなッ!」

 ヘイムダルの叫びに、若い作業員は反射的

に機械から手を放した。だが、次の瞬間には

高校生程度にしか見えないヘイムダルに叱咤

されたことに腹をたて、彼を睨みつける。

 「偉そうに言ってるが、君はこの機械が何

なのかを知っているのか?」

 「……」

 「おい、知ってるのかッ?」

 怒鳴る若い作業員を、年配の方がたしなめ

るようにして制した。そして、ヘイムダルの

方を見て、優しく語りかける。

 「すまないが、何か知っていたら教えてほ

しいんだ」

 「……」

 ヘイムダルは黙ったままである。彼には彼

らの言う原因に察しはついていた。

 たぶん、野良犬を始末するためにトールハ

ンマーを使用した時に、強力な電磁波が発生

したのだろう。コンピューターのハードディ

スクなど、一瞬にしてデータを失ってしまっ

たに違いない。だが、その事を説明する気も

ないし、したところで信じる筈もない。

 「色々といじくってみたんだが、さっぱり

分からんのだよ」

 「い…、いじくっただとッ?」

 年配の作業員の言葉に、ヘイムダルは今度

こそ本当に焦りを覚える。非常にデリケート

な構造をしているトールハンマーに、ほんの

少しの操作ミスでも重大な故障を引き起こす

可能性があるのだ。さらに下手にいじくれば

機密保持機能が作動し、自爆することもあり

得るのである。

 「ああ…。しかし、こんな奇妙な機械を見

るのは初めてだよ。君も……っ

 言いかけた言葉が、短く呑み込まれた。

 それはヘイムダルの手に握られた銀色の拳

銃のようなものが自分たちに対して向けられ

るのを目にしたからだ。それは、テレビの特

撮ドラマに出てくるような光線銃のような形

をしていた。

 「それから離れろ…!」

 ヘイムダルが低く命令する。

 「なんだぁ、そんなオモチャを振り回して

どういうつもりなんだ?」

 若い方が「ふざけるな」とも言いたげに、

ヘイムダルの方へと近づいていく。

 ヴィィッッ!

 鋭く尖った銃の切っ先からオレンジ色の光

線が作業員に向かって放たれた!

 「ぐわっ!」

 若い作業員の体がビクッと雷に撃たれたよ

うに跳ね上がる。そして、二三度細かく痙攣

したかと思うと、そのまま地面へと倒れてし

まった。

 「な、何をしたッ?」

 年配の男が慌てて若者を抱え起こすが、完

全にグッタリしてしまっている。狼狽しきっ

た様子でヘイムダルへ目を向ける。

 「心配するな。これはパラライザーだ」

 「パラライザー?」

 「全身が麻痺しているだけだ。命に別状は

ないはずだ」

 「き、君は…」

 その言葉が終わらぬ内に、再びオレンジ色

の輝きがパラライザーから走る。そして、年

配の作業員も若い方と重なるようにドサリと

倒れたのだった。

 「チッ…。余計な手間を…!」

 ヘイムダルは短く舌打ちすると、トールハ

ンマーへと駆け寄る。彼は急いで、起動シス

テムをチェックし、組み込まれているプログ

ラムの動作テストを行った。しかし、

 「く、くそッ!」

 怒りに満ちた苦鳴が漏れた。

 でたらめにいじられたせいであろう。起動

装置そのものに異常はなかったが、広範囲作

用のプログラムが狂ってしまっていたのだ。

 これでは、虹ヶ崎市全域に対して心理破壊

を行うことなど不可能であった。せいぜい半

径百メートル程度の範囲に作用するぐらいで

しかない。

 「おのれ…。こんなくだらない事で、俺の

計画がつまづくとは…!」

 急いでプログラムを修復するにせよ、それ

には最低でも丸一日はかかってしまうだろう

と予想された。

 「このまま起動させても無意味か…」

 ごく限られた範囲にしか作用しない状態で

計画を実行するのは無理だった。虹ヶ崎市に

住む全員の心を破壊するには、一気にやらな

ければならない。そうでなければ、逃げだす

市民などが現れてしまい、感染源を抹消する

という目的そのものに支障をきたしてしまう

からである…。

 「とにかく、この場所を移動して修復させ

るしかないな…」

 場所を20世紀の人間に知られたからには、

場所を移動する必要があった。そして、それ

からプログラムを修復する他はない…。

 「ま、運命の日が一日伸びただけさ」

 そう言いながら、ヘイムダルはトールハン

マーを移動させる準備を始めた。

 この一日のズレが重大な意味を持つことに

なろうとは、さすがの彼も予想できなかった

のであった…。

 

 「おい、タコ焼きを買ってこい!」

 ベンチに寝転がったままの姿勢でロキが工

作員に命令した。

 「……」

 工作員たちは無表情のまま、反応しない。

 「おい、聞こえないのか?」

 目を開けてイライラしたように言うが、工

作員たちは動こうとしなかった。命令の内容

が分からないといった感じだ。

 「チッ。タコ焼きという単語が分からんの

か…」

 ロキは起き上がると、落ちていた小枝で地

面にガリガリと絵を描きはじめる。四角い箱

の中に○が8個並んでいる図であった。

 「いいか、こういう食べ物だ。俺がいつも

食べているヤツだから、分かるだろう?」

 「……」

 ようやく、工作員がうなずく。

 「ちゃんとソースと青海苔をかけてもらっ

てくるんだぞ!」

 工作員はもう一度うなずくと、公園の外へ

と走っていった。それを見送りつつ、

 「命令されるままに動くのは便利だが、ロ

クに会話も出来ないのは面倒なものだ」

 とロキはため息をつくのだった。

 キルケウイルスに感染した人間の中から体

力や運動神経に優れた者だけを選抜し、軍隊

用の訓練を受けさせたのが工作員である。受

けた命令を一糸乱れぬままに行動する工作員

は兵隊としては、申し分ない。キルケウイル

スの影響で、あらゆる恐怖や自我を喪失して

いるために、どんな危険な命令でも躊躇無く

遂行できるというのは兵隊として最高の水準

にあると言えよう。兵隊として最も好ましく

ないのは、死に対する恐れや自らの行動に対

する迷いなどであるからだ。しかし、同時に

思考能力が著しく低下し、コミュニケーショ

ン能力がゼロに近いというマイナス面もあっ

た。おかげで細かく指示を与えないと、動く

事もできないのだ。精密な機械のような人間

だけに、指示する人間の的確なインプットが

要求されるのである。

 「やれやれ…」

 再び寝転がろうとした時、携帯通信機がけ

たたましく鳴り響いた。

 「くそッ!」

 面倒くさそうに通信機を取ると、シグルド

の声が聞こえた。

 「ロキ大尉。今、何処にいるんです?」

 「あー、ちゃんとトールハンマーの捜索を

続けてるよ」

 そう言いつつ、ロキは横になる。

 「またサボってるのではないでしょうね」

 「おいおい、人聞き悪いこと言うなよ。こ

の俺がいつサボっていると言うんだ?」

 「……」

 通信機の向こうで呆れているシグルドの顔

が想像できた。

 「大丈夫だ。ちゃんと探してくれてるから

安心しろよ」

 「探してくれてる?」

 「あ…いや…、その何だな…、ちゃんと探

しているよ。…いやぁ、大変だよ、うん!」

 慌ててゴマかしたロキに、シグルドはそれ

以上は何も言おうとしなかった。

 「…そんなことより、何か用か?」

 「フレイヤ隊長は見つかりましたか?」

 「ああ、たぶん死んじまったよ」

 「死んだ?」

 「たぶんな…。アスラと相討ちになったみ

たいで、昨日の夜に爆発した病院の下敷きに

なっちまったようだ」

 「まさか…?」

 絶句するシグルド。

  アスラに会いに行ったまま戻らないのを心

配していたのだが、よもや昨夜の病院爆発に

巻き込まれたとは思いもよらなかったのであ

る。

 「仕方ないさ。とにかく、俺たちで作戦を

実行するしかないだろ」

 「…分かりました」

 「ま、これからは俺が指揮官てことになる

のかな」

 心なしか弾んだような声でロキが言う。

 「ロキ大尉」

 「何だ?」

 「フェンリル将軍から、緊急に集まるよう

に指示が出ています。直ちに基地へとお戻り

ください」

 「将軍から?」

 「はい。大至急とのことです」

 「わかった。すぐに戻る」

 と通信機を切った時、工作員が駆け戻って

くるのが見えた。

 「おお、買ってきたか?」

 ホクホクした顔で迎えたロキの顔が、工作

員の手にしている物を見て、たちまち曇る。

 「……おい…」

 無理もない。それは綺麗に箱に収められた

ゴルフボールだったのだ。しかも、丁寧なこ

とにソースと青海苔がかけられている。

 「確かに箱に○が8つ入ってて、ソースも

青海苔もかかってるけどな…」

 ゴルフボールを差し出す工作員に、ロキは

絶句せざるを得ない。呆れるのを通り越して

しまっていた。

 「ええい、こんな所で漫才なんぞやってら

れるか!すぐに基地に戻るぞ!」

 ソースかけゴルフボールをゴミ箱に放り込

むと、ロキは工作員を従えて公園を後にする

のだった。

 

 妖しい光が揺らめくミレニアム秘密基地。

 大きな広がりを持つ通信室の中へ、軍服に

着替えたロキが入ってきた。シグルドはすで

に先に待機している。

 ロキが来るのを待っていたかのように、通

信室に空港の滑走路のようにパッパッパッと

ライトが点灯していく。

 ヴウゥゥンと音をたてて、フェンリル将軍

の立体映像が現れた。

 「ロキ。早速だが、フレイヤが死んだとい

うのは確かなのか?」

 重々しい声でフェンリルが尋ねる。

 「確認はしていませんが、あの病院の有り

様を見たかぎりでは絶望的だと…」

 「軽々しく絶望という言葉を使うな!」

 「はっ。しかし、いまだに行方不明である

ことは間違いありません」

 「うむ…」

 有能な指揮官を失ったという以上の喪失感

をフェンリルは抱いているようだった。

 「それより、将軍。緊急に我々を呼び集め

たのは、いかなる用件でありますか?」

 ロキが急かすように聞く。

 「うむ。実はトールハンマーを盗み出した

犯人が分かったのでな。それをお前たちに伝

えておこうと思ったのだ」

 「誰なんです?」

 「ヘイムダルという男だ」

 「ヘイムダル…!」

 シグルドが口から飛び出しかけた悲鳴を手

で抑え込んだ。そんな彼女の反応をロキが不

思議そうな表情で見やる。

 「シグルドは知っているようだな…」

 フェンリルの問い掛けに、シグルドがうな

ずいた。

 「将軍。何者なんですか、そいつは?」

 「帝国の科学研究所に入ったばかりの若手

研究員だった男だ。シグルドと同じく科学技

術アカデミーを首席卒業した英才でもある」

 「お前、そんなエリートだったのか?」

 そう言って、ロキがシグルドを見る。彼女

は照れくさそうな表情を浮かべた。

 「ヘイムダルは若いですが、その才能はフ

レイヤ隊長やバルドル博士などと比較される

ほどの優秀なものです。何よりも、彼の両親

は共に科学技術アカデミーの校長と主任講師

でもあった方です」

 「へぇ、エリート中のエリートさんか?」

 「はい。特に研究所では多くの新技術を考

案したことで知られています。しかし、あれ

ほどの優秀な人間が何故…?」

 「恐らくは復讐だろう…」

 シグルドの疑問に答えたのは、フェンリル

の重々しい声であった。

 「復讐ですか?」

 驚いたようにシグルドが聞き返す。

 「うむ。これは極秘事項なのだが、先日に

科学技術アカデミーの校長と主任講師が逮捕

された」

 「ど、どうしてですかッ?」

 「彼らはミレニアム帝国の方針に反抗し、

トールハンマーを破壊しようとしたのだ」

 「まさか…」

 「事実だ。あのような機械が存在すること

は人道的に許せないというのが、彼らの主張

であった。そして、トールハンマーを破壊す

るという無謀な計画をたてたのだ」

 「そんな…」

 シグルドが絶句する。自分が通っていた学

校の校長と、そして自分の恩師でもある人間

が反逆の意思を示したということが彼女にと

っては大きなショックであった。だが、その

次にフェンリルの口から語られた言葉は、よ

り大きな衝撃を与えることとなった。

 「しかし、彼らの計画を我々に密告したの

は、他ならぬヘイムダル自身だったのだ」

 「りょ、両親を息子が密告したのでありま

すか?」

 これには、さすがのロキも驚いたようだ。

 「破壊行為を未然に防ぐことができれば、

両親を反逆者にしなくて済むと考えたのであ

ろう。帝国に対する反逆は、死に値する大罪

となるからな…」

 「しかし、両親は逮捕されたのですね?」

 「罪は罪だ…」

 シグルドの問いにフェンリルは答えた。

 「死罪にはならぬまでも、そのような計画

を考えた者を許す訳にはいかぬ」

 フェンリルの言葉には、帝国の秩序を維持

する責任を負う立場ならではの重みがある。

 「では、両親が逮捕されたことの復讐であ

ると将軍は言われるのですか?」

 シグルドが聞くと、フェンリルは静かにう

なずくのだった。沈鬱な空気が漂よう。

 「ま、逆恨みってヤツですな。逮捕される

とは思っていなかったのでしょう。所詮、若

い者の考えることは甘っちょろいのです」

 ロキがしたり顔で言う。だが、横にいるシ

グルドには納得がいかなかったようだ。

 「しかし、それはヘイムダルとて予測の範

囲だったはずです。なのに、何故?」

 「……」

 将軍は一瞬、何も答えずに黙った。

 「将軍?」

 「…ヘイムダルの考えていることは分から

ぬ。だが、ヤツは帝国そのものを滅ぼすため

にトールハンマーを盗み出したのだ」

 「なるほど…。研究所にいたのなら、トー

ルハンマーを盗み出すことも簡単だった訳で

すな」

 ロキが納得したように言った。

 「そうだ。だが、これ以上ヘイムダルの好

きにさせる訳にはいかぬ。何としても、トー

ルハンマーの使用を阻止するのだ!」

 そう言い残して、フェンリルが揺らめくよ

うにして消えていった。

 「復讐か…。説得の通じる相手じゃなさそ

うだなぁ」

 ロキがうんざりした様子で言う。

 「とにかく、相手の正体が分かったんです

から、すぐに探しましょう」

 「あ、ああ…」

 「どうしたんですか?」

 シグルドの質問にロキは言い澱んだ。さす

がに忠夫と唯に追跡装置を渡してしまったこ

とは言えない。

 「シグルド。お前は先に探しに行け」

 「ロキ大尉は?」

 「フレイヤがいない今、俺が現場指揮官な

んだぞ。命令に従え!」

 「…はい、分かりました」

 釈然としないながらも、シグルドは部屋を

出ていく。それを見て、ホッとしたようにロ

キは額の冷や汗をぬぐった。

 「危なかったぁ…。ま、後はシグルドに任

せて、俺は基地で待つことにすっか」

 ロキはのんびりと言う。

 「それにここにいれば安全だしなぁ」

 ロキにはもう一つの思惑があった。作戦が

失敗して、トールハンマーが作動してしまっ

た時のことを心配していたのである。このミ

レニアム基地は特殊な電磁シールドを備えて

いるために、心理破壊装置は内部にまで作用

しないはずであった。外にいるよりも、事件

が解決するまで隠れている方が良策だと思っ

たのだった。

 「自分の身は自分で守らなきゃな」

 そう言って、通信室を出ていくロキ。

 だが、キルケウイルスの感染源が消滅して

しまうことは歴史が変わることを意味し、ロ

キ自身の消滅につながってしまうことまでは

頭の回らないロキでもあった。

 そして、誰もいなくなった通信室はゆっく

りと闇の中に融けていったのだった…。

 

 再び、夕闇が街を覆いつつあった。

 黄昏を迎えたマンションへと続く道を忠夫

と唯が疲れた足取りで歩いていく。

 せっかく追跡装置を手に入れたにもかかわ

らず、今日一日を歩いた成果はゼロだった。

 「どうしよう、お兄ちゃん…」

 約束の日まで一日を残すのみとなった今、

唯の声も一層弱々しくなっている。

 「そんなこと、分かんないよ」

 忠夫も疲れ切った様子で答えた。いつもな

らケンカ腰になってしまうところだが、忠夫

自身も気力が失せていたのだった。

 「この機械じゃ、無理なのかなぁ?」

 唯が手にした追跡装置を見ながら言う。

 「……」

 忠夫は答えない。それだけが一縷の希望で

ある以上、それを否定してしまうことがとて

も怖かったのである。

 この時点で、追跡装置に反応しない理由が

トールハンマーのスイッチが切られたことだ

とは知る由もない。追跡装置は動力源にあた

るテスラドライブが放射する電磁波をキャッ

チするものだから、それが停止していれば何

の意味もない。忠夫たちが探していた時、す

でにヘイムダルは一時的に動力源を停め、別

の隠し場所へと移動させていたのである。

 「とにかく明日も探してみよう」

 忠夫は言う。自分たちが小学生でなければ

徹夜で捜索したいところだが、夜中にうろつ

いていれば警察に補導されてしまうし、子供

の体力や気力にも限界があった。忠夫は冷静

に最後の一日に希望をつなぐことにしたので

あった…。

 「お兄ちゃん…」

 「何だよ?」

 「アスラ、どうしたのかな?」

 唯はアスラの安否を気にしているようだ。

 忠夫自身も気にしていない訳ではないが、

唯よりもリアリストでもあった。すでに一日

が経過しているのにアスラから連絡はない。

 それこそが解答なのだと忠夫は思った。

 すなわち、アスラはすでに死んだのだと。

 だが、その言葉を唯には言えなかった。

 「大丈夫さ。すぐに戻ってくるよ」

 忠夫はあえてそう答える。唯をこれ以上心

配させたくもないし、そう言うことが兄とし

ての責任と思ったからだった。自分でも信じ

ていないことを言うのは辛いが、

 「そうだね!」

 と言う唯の表情を見て、忠夫は自分の判断

が間違っていなかったと思うのだった。

 心の奥底に光っている最後の希望を消した

くなかったからである…。

 二人は自分たちのマンションへと歩いていく。

  自然と手をつなぐようにして…。

 立ち並ぶマンションの窓窓には明かりが灯

り、その明かりの下では幸せな家族の団欒が

営まれていることだろう。忠夫たちの両親は

スーパーで働いているため、ここ数年はそう

いう団欒を味わったことはない。それを哀し

いとは思わないが、他の家庭が羨ましくない

と言えば嘘であった。

 だからこそ、思うのだ。

  あの灯を消してはならない

 と…。

 

 歴史は、夜、創られる。

 そう評した人間が過去にいた。

 覆い隠された闇の奥で…、誰に知られるこ

ともなく…、未来の予定表は綴られるのだ。

 少なくとも、ヘイムダルは自分自身の手で

新たなる未来図を描きだそうとしていた。

 ガランとした空間の奥に、彼はいた。

 かってはオフィスだったのだろうか、無造

作に積まれた事務デスクや椅子の向こうに何

かが置かれている。ガラスもなくなった窓を

通して差し込む光に、銀が鮮やかに浮かぶ。

 トールハンマー。

 愚かなる人間に振り下ろされる神の鉄槌。

 恐るべきマインドデストロイヤー装置は、

静かにその刻を待っていた…。

 「全ては未来のために…」

 すでに存在している未来ではなく、彼自身

が信じるもう一つの未来へと変えるために、

彼の指はコンソールのスイッチへと伸びた。

 「メインシステム起動」

 カチッというスイッチ音と同時に、円筒形

をした銀色の巨体にランプが灯る。

 「機能設定装置、オープン。全てのプロテ

クトを解除する」

 ウィーンと音をたてて、正面が大きく開い

た。そこの奥には無数のキーボードスイッチ

とパネルが多彩な光を放っていた。この機械

の中枢機能を維持するメインシステムだ。

 ヘイムダルは細かくそれらをチェックする

と、キーボードへと手を伸ばした。

 「よし。これなら、予想よりも短い時間で

プログラムを修復できる!」

 カチャカチャと凄まじいスピードでキーが

叩かれはじめる。ディスプレイの中を目ぐる

ましい速さで文字がスクロールする。

 「明日こそ、審判の日だ…」

 ヘイムダルはつぶやいた。

 夜明けと共に、虹ヶ崎市にジャッジメント

デイが訪れる。

  その日に下される審判がいかなるものなの

か…、街を包む深い夜の闇のごとく、その答

えは見えない…。

 

 「いよいよか…」

 連日の晴れとは打って変わって、空はどん

よりと曇っている。忠夫はマンションの入口

に立って、空を見上げている。その表情には

張り詰めた緊張が漂っていた。

 灰色に塗りつぶされた空は、夏の終わりを

告げようとする雷雲でもある。ゴロゴロと低

いドラムに似た音をたて、遠雷が耳に届く。

 「唯…」

 そばにいる妹に向かって、忠夫が言った。

 「何、お兄ちゃん?」

 「今日なんだが…」

 「?」

 いつになく厳しい顔つきの忠夫に唯は首を

かしげた。

 「俺一人で探そうと思う…」

 「え、どうして?」

 「唯…。この街を出るんだ」

 「お兄ちゃん!」

 「父さんや母さんも…。何としても説き伏

せて、一緒にこの街を出ろ!」

 「いやよッ!」

 唯が叫ぶ。その目には涙が滲んでいた。

 「この街にいれば、ヘイムダルのヤツに心

を壊されてしまうんだぞ!」

 「いやッ!」

 「お前だけでも、逃げだすんだッ」

 「いやったら、イヤっ!」

 「唯、お願いだから…」

 「絶対にイヤッ!」

 唯が忠夫の腕にすがりついた。

 兄の気持ちは分かる。分かりすぎるほどに

伝わってくる。だが、兄を残して街を逃げだ

すことなど出来るはずもない。そんなことを

すれば、トールハンマーの力を借りずとも自

分の心は壊れてしまうと知っていたのだ。

 「唯…」

 忠夫とて、一緒に逃げだしたいのはヤマヤ

マだし、唯が素直に承諾してくれるとも思っ

ていない。それでも言わずにはいられなかっ

たのである。兄として…。

 昨夜までは、忠夫もそんな弱気なことを言

おうとは思っていなかった。だが、今朝の暗

雲たれこめる空を見た時、抑えようのない不

安が一気に膨れ上がったのだ。爆発寸前の爆

弾を前にして、なおも強気でいられるほど人

間は強くない。忠夫の反応は、普通の人間と

して至極当然のものであった。

 「お兄ちゃん…。探そうよ」

 唯がギュッと腕をつかむ。

 「……」

 「絶対にあの機械を探しだそうよ。そうで

ないと、隣のおばさんも、おじさんも、学校

の先生も、友達もみんな…。そんなの耐えら

れないよ!」

 「唯…!」

 「がんばろうよ、お兄ちゃん!」

 唯は忠夫の目を見つめて言った。

 忠夫は気づいた。自分が犠牲になって唯を

助ける行為は、何も解決しない。それは虹ヶ

崎市を滅ぼして未来を救うというヘイムダル

の考えの亜流に過ぎないことを…。

 最後の最後まで、誰一人犠牲にならないよ

うに努力することが大切なのだと。そうでな

れば、いつまでも哀しみの歴史は続くのだ。

 「唯、行こう!」

 忠夫は追跡装置のスイッチを入れた。

 画面に浮かび上がる受信パターンを見なが

ら、二人は街へと向かったのだった。

 

 その頃、ヘイムダルもまた最後の入力を終

えようとしていた。

 「範囲指定…、虹ヶ崎全域…」

 カチャカチャとキーを操作する手の甲に汗

がポツリと落ちる。それにも構わず、ヘイム

ダルの指は次々と座標を打ち込んでいく。

 「座標286、287…」

 ディスプレイに浮かび上がる虹ヶ崎市を紅

い光点が円上に包囲していく。

 「座標298、299…」

 そして最後のキー入力が行われる。

 「座標300、範囲指定終了!」

 ピーッと音がして、円形に囲まれた虹ヶ崎

市の部分が真っ赤に塗りつぶされる。それは

完全に虹ヶ崎全域を網羅していた。

 「トールハンマー起動準備!」

 ヘイムダルがスイッチを入れる。

 ヒュイィィン…!

 次々にランプが光り、テスラドライブが運

転を開始するモーター音が響きはじめた。

 それこそは、終末への序曲であった。

 「メイン動力システム、異常なし」

 15分ほどのアイドリングを行った後、中央

の基盤にグリーンのランプが灯った。

 「トールハンマーを最終的に固定する」

 スイッチを入れると同時に、底辺部から金

属製のアームが伸びて地面へと突き刺さる。

 これによって、もう誰にも動かせないとい

う状態になったのだった。

 「耐熱シールドON。重力子遮断装置、放

射双曲線維持装置、広範囲放射システム、全

て異常なし。最終セット…」

 次々とチェックリストを読み上げながら、

ヘイムダルはシステムを稼働させていく。

 さらに10分ほど操作を繰り返すと、メイン

パネルにあるコンピューターのランプが全て

グリーンへと変わった。

 「心理破壊装置への動力回路、オープン」

 ウィィンという微かな音が聞こえた。

 「心理破壊装置、エネルギー充填開始…」

 ヘイムダルは勢いよくスイッチを叩いた。

 円筒形の形をしたトールハンマーの最上部

に付けられたレベルメーターのようなウィン

ドウが輝く。エメラルド色のパネルが少しず

つ赤い色に染まっていくのが見えた。

 その全てが紅く染まった時、虹ヶ崎全市民

の心を破壊する放射線が放たれるのである。

 「クククク…、神の鉄槌だ」

 ヘイムダルは唇を歪め、狂気に彩られた復

讐の炎を瞳に浮かべた時、

 ガタァン!

 大きな音が外から聞こえたのだった。

 

 シグルドは追跡装置を手に市街の道を歩い

ていた。徹夜で街中を探しまわっただけに、

顔に疲労の色が濃い。

 「おかしいわ…、何故反応がないの?」

 自動販売機で缶コーヒーを買い、一息つき

ながらシグルドはため息をついた。寝不足で

充血してしまった目で追跡装置のディスプレ

イを見る。だが、そこには何の変化も見られ

なかった。

 「この機械では駄目だと言うの…?」

 そう自嘲めいたつぶやきを漏らした時、急

に波形が変化し始めた。次いでシグナルが鳴

り響きだす。

 「は、反応が…!」

 それはちょうどヘイムダルがスイッチを入

れ、テスラドライブが始動した瞬間だった。

 「全員、ついてきなさい!」

 シグルドは慌てて工作員たちを呼び、追跡

装置を持って走りだした。小刻みにダイヤル

を調整しながら、反応の行方を追う。

 「こ、こっち…!」

 曲がり角に来る度に強くなっていく反応を

確かめながら、シグルドは足を早める。疲れ

も忘れ、ただひたすらに走った。

 ピーッ、ピーッ、ピーッ!

 段々とシグナルの音も大きくなり、曲がっ

た角は幾つを数えたであろうか。

 「右…、いや左だわ!」

 走るシグルド。その後を4人の工作員が続

いていく。ロキから預かった者も含めた人数

である。彼らは命令された通りにシグルドの

後をついていく。息をきらさないのは、さす

がに訓練を受けた者ばかりであった。

 「探索レンジ拡大!」

 シグルドは機械を操作し、さらに細かい範

囲を絞り込むことにする。反応がかなり大き

くなり、目的地に近づいたことを示していた

からである。

 「近い…!」

 示された地点は、もはや手の届く範囲にあ

るようだった。シグルドは慌てて辺りを見回

した。そこは、小さな雑居ビルの立ち並ぶ一

角であった。

 「…!」

 慎重に探ると、古ぼけた一つの雑居ビルが

目に入った。割れ落ちた窓ガラスや全体に薄

汚れたコンクリートの壁は、そこが無人にな

って久しいことを物語っている。

 「どうやら、あそこみたいね…」

 シグルドが近づいていくと、ビルを取り囲

む錆びた鉄条網が見えた。風雨にさらされた

「立入禁止」の看板が風に揺れている。

 「全員、辺りに警戒しつつ進入する!」

 鋭い指示が飛ぶと、工作員たちは姿勢を低

くするように敷地内へと入っていく。シグル

ドもまた、慎重に足を進めた。

 建物そのものにも、敷地の中にも滅びが揺

れていた。噂に聞くバブル崩壊で倒産した会

社の持ち物だったのか、錆びついたドラム缶

が寂しそうに転がっている。

 しかし、明らかに不思議な気配が漂ってい

る。ジャングルの中で、連なる木々の奥から

肉食の猛獣に見つめられているような雰囲気

とも言えた。張り詰めた空気の向こうで、何

かが起きようとしている…。

 「この中にトールハンマーが…?」

 そう考えながら、鉄条網を越えようとした

時、服がひっかかってしまった。

 「うんもう…!」

 破れそうになる服を押さえながら、鉄条網

を引っ張った瞬間、それを支えていた杭が抜

けて看板へとぶつかってしまった。

 ガタァン!

 大きな音が敷地の中へと響いた。

 ヘイムダルが耳にしたのは、まさにこの音

だったのである。

 「しまった…!」

 シグルドが小さく悲鳴を上げる。もはや一

刻の猶予もない。

 「全員、突入ッ!」

 そう叫んだ途端、ビルの窓からオレンジ色

の光がきらめいた。それに撃たれた工作員の

一人が跳ね飛ぶように地に倒れる。

 「あの光は…!」

 地に伏した工作員は痙攣するようにして、

動かなくなる。だが、決して死んだ訳ではな

いことだけは分かった。

 さらに数条の閃光が宙を切り裂くように、

シグルドたちの周囲にきらめく。

 「パラライザーだわッ!」

 即座にヘイムダルの武器を判断したシグル

ドが叫んだ。光に撃たれれば、体が麻痺して

しまう未来のハイテク兵器の一つだった。

 「全員、身を伏せなさいッ!」

 シグルドは慌てて叫びながら、近くのドラ

ム缶の陰に身を伏せた。オレンジ色の閃光が

ドラム缶に当たって、激しく震わせる。

 「キャアッ!」

 ドラム缶から崩れる錆を頭から浴びつつ、

シグルドは悲鳴を上げる。恐る恐る顔を上げ

て見ると、工作員たちが右往左往している。

 身を伏せろという指示では、足りなかった

らしい。敵の銃撃を身を伏せることだけで回

避しようとして、混乱の極みに達している。

 「早く、物陰に隠れてッ!」

 工作員たちに指示を出そうと立ち上がった

瞬間、シグルドの体にオレンジ色の光が突き

刺さった!

 「キャアアッ!」

 全身を貫く衝撃に目の前が真っ暗になって

いく。体の自由が瞬時に奪われていく喪失感

がシグルドの意識をも奪っていく。

 「……」

 グラリと上半身が揺れる…。

  そして、ゆっくりとシグルドは倒れていく。

  地面に横たわった彼女の手から追跡装置が

転がり、虚しくシグナルを鳴り響かせた…。

  その光景を見つめるシグルドの瞳から、一

筋の涙が流れ落ちていった…。

             

                                                          つづく

 ※なんと完結篇へと続くになってしまいました。

      クライマックスを迎える次回をお楽しみに。