プロジェクト・エデン特別篇

 

「幸福が棲む谷」

 

 

 第四回  アスラ対シグルド

 

 甲府市街を出発した一行は中巨摩郡敷島町

を通過し、さらに観光地として名高い御岳昇

仙峡をも通りすぎていく。

 すでに出発から二時間近くが経っており、

辺りの風景は甲府市街とは全く異なるものに

なりつつある。目の前には高い峰々が迫り、

全山を覆う紅葉が目にまぶしい。

 「全くどこまで行くのかしら…?」

 ダークブルーのワゴン車の後部座席でシグ

ルドが不安そうな声を出す。市街からどんど

ん離れていってしまうので、さすがに心細く

なったようであった。

 30世紀の世界では、ここまで奥深い山を見

たことがなかったのも理由の一つだった。

 「罪深き白夜」と言われる世界終末戦争に

よる核破壊によって、全世界の自然形態は完

全に狂ってしまっているからである。

 広島型原爆の数十倍、数百倍の破壊力を持

つICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLB

M(潜水艦発射型弾道ミサイル)、湾岸戦争

などで有名になったALCM(巡行核ミサイ

ル)などが空を飛び交い、全世界に炎の饗宴

を繰り広げたのであった。太陽の表面温度で

ある五五〇〇度を遙かに超える高熱が地表を

焼き尽くし、地上に存在していたものを衝撃

波で吹き飛ばしてしまった。

 さらに「核の冬」が地球を覆った…。

 爆発が引き起こした火災が膨大な煙や煤を

発生させ、大気を覆い尽くしたのだ。地上は

暗黒と化し、気温が急激に低下していった。

 わずか30〜40日の内に、従来よりも40度も

気温の低い氷点下の地域が全世界に誕生し、

地球は「死の惑星」と化したのだった…。

 そんな状態で自然が無事な訳はない。核分

裂反応によって生じた放射能による汚染との

ダブルパンチによって、「罪深き白夜」以前

の自然環境は消滅したのだった…。

 そして、一〇〇〇年の時が流れた…。

 地球の回復力はすさまじく、徐々に自然環

境は復活しつつある。自然破壊の原因であっ

た人間がほとんど滅びていたことも幸いして

いたのかもしれない。

 ただし、以前の自然環境と同じほどの豊か

さには至っていない。人類復興を担うミレニ

アム帝国も自然環境の整備に尽力し、植林や

土壌浄化などに努めているが、緑が取り戻せ

たのは自分たちのコロニー周辺地域に限定さ

れている。それも人工的に作られたな自然で

しかなかった…。

 従って、本当の豊かな自然をシグルドが目

の当たりにしたのは、これが初めてだったの

である。彼女が派遣されている虹ヶ崎市も自

然の豊かな地域であるとは言え、このような

山系に及ぶべくもない。

 「あら、着いたみたいね…」

 シグルドは前を走る2台がウインカーを出

しながら、横の小道に入っていくのに気づい

た。さらに、周辺には数台のパトカーが停ま

っているのも見えた。…その時、

 「ちょ、ちょっと! このまま真っ直ぐ通

りすぎるようにしなさいっ!」

 あわててシグルドが運転している工作員に

怒鳴った。事もあろうに、工作員はそのまま

パトカーの群れの中に車を進めようとしたの

である。『前の車についていきなさい』と指

示を出したシグルドの責任ではあるが、指示

された事以外に融通がきかないのが工作員た

ちの難点であった。

 「少し過ぎた所で停めるのよ!」

 工作員は混乱する。少し、という加減がつ

かめないのである。

 「いいわ。ここで停めて!」

 50メートルほど過ぎた辺りで、シグルドた

ちの車が停まる。ほとんど交通量がないため

に路上駐車は問題ない。ハザードなどは点け

ないようにして、車を脇の茂みに乗り入れる

ようにして隠す。下手に勘繰られるのはマズ

いと考えたからであった。

 高沢たちの車が入っていったのは、渓流釣

りなどに訪れる人用の小道らしかった。

 風雨にさらされて錆びついてしまった釣り

小屋の看板が見える。

 「さて…と、さすがにあの中に入っていく

訳にはいかないわね。ならば…」

 シグルドは窓を開けて、小さな虫のような

ものを空中に放った。

 通称「テレビバエ」と呼ばれる偵察用のマ

イクロロボットである。かって「切り裂かれ

た絵」の事件で使用した蜘蛛型スパイロボッ

ト「スパイだー」と同じようなものだ。高解

像度マイクロカメラと超小型集音マイクを内

蔵しており、偵察行動には欠かせない。

 「しっかり見せてもらうわよ」

 シグルドはそう言いながら、車に積んであ

る受像モニターのスイッチを入れた。

 ブウウンと音をたてて、画面が映る。そこ

には渓谷沿いに集まった警察官などの姿が映

し出されていた。

 

 普段は渓流釣りの客しか来ないような場所

に、何人もの人間が動き回っている。

 渓流へと続く木組みの階段の入口にはロー

プが張られ、「立入禁止」の札がぶら下がっ

ている。紺色の制服を着た鑑識の人間がロー

プのこちらと向こうを行き来していた。

 「すみません、大東新聞ですが…!」

 春山と一緒の新聞記者がロープの近くに立

っている警察官に声をかける。

 「まだダメだよ。鑑識が済んで、遺体を運

び出すまでは立入禁止だ」

 いかつい顔の警察官は、その容貌通りの素

っ気ない反応で記者を入れようとしない。

 高沢は離れた場所から、その様子を見て苦

笑していた。

 (まだまだ若い記者だなぁ)

 いくら情報を得たとしても、警察相手に正

攻法の取材が通用するとは限らない。その辺

りの機微はまだ分かっていないようだ。

 「どれ…」

 高沢はゆっくりと前へと出ていく。

 ざっと見回した限りでは、他社の記者は来

ていないようである。今のうちに取材してお

くのがベストであった。

 「野口さんはいるかい?」

 まるで友達に話しかけるような雰囲気で警

官に呼びかける。横にいた若い記者がビック

リした様子で高沢を見た。

 「警部でしたら、下にいますが…」

 話しかけられた警官もキョトンとした様子

で答える。

 「悪いんだけど、取り次いでよ。高沢と言

えば分かるから」

 「高沢…さんですか?」

 「ああ。そう言えば、分かるよ」

 「ですが…」

 警官の方もどう対応していいのか、困って

しまっているようだ。

 「高沢さん、困りますよ。あなたは鹿間村

に帰るんじゃなかったんですか?」

 若い記者が小声で高沢に文句を言う。

 「大丈夫。今は休暇中だよ」

 「だ、だったら、なおさら…!」

 若い記者が目をつり上げた時、

 「もう嗅ぎつけたのかよ」

 とぶっきらぼうな声がした。

 見ると、どっしりした体格の中年男が階段

を登ってくるところであった。

 「これが仕事でね」

 高沢が軽くウインクする。相手は山梨県警

捜査課の野口警部であった。

 「ハイエナみたいな野郎だな…。すぐに死

体の臭いを嗅ぎつけやがる」

 「お互いさまでしょ。どうです?」

 「ま、単なる事故だろうな…。見るか?」

 野口がクイと顎で、階段下を指す。

 「すみませんね。また今度、飲みをおごら

せてもらいますよ」

 そう言いながら、高沢がロープをくぐる。

 「どうせ、赤提灯だろうが…」

 野口が笑いながら、高沢の前を案内するよ

うに歩きだす。その後を飄々とした足取りで

高沢が続く。下りかけて、チラリと春山の方

へと合図を送った。同時に春山もロープをく

ぐって続く。

 「あ…、あの…」

 残された若い記者は目をパチクリさせて、

立ち尽くすのみであった。

 「これはどういうことなんでしょう?」

 若い記者が警官に尋ねる。

 「さあ…」

 警官も目をパチクリさせるのみであった。

 

 渓流のせせらぎが聞こえてくる。

 足元の階段には苔が生えていて、油断する

と滑ってしまいそうであった。すでに夏とい

う季節を過ぎたとは言え、まだ辺りは鬱蒼と

した灌木に覆われている。

 「瑞記ちゃんは元気にしてるのか?」

 先を行く野口警部が尋ねてきた。

 「ええ。最近、めっきり母親に似てきまし

てね。口うるさくなりましたよ」

 高沢が頭をかきながら言う。

 「どうりでな。最近、飲みに出てこなくな

ったのは、それか?」

 「またまた禁酒宣言させられまして…」

 「おいおい、一体何度目だ?」

 「いちいち数えてられませんよ」

 「そんな父親だから、瑞記ちゃんが苦労す

るんだよ。少しは優しくしてやれよ」

 「そのダメ親父と飲みまくってるのは、ど

この誰でしたっけ?」

 「…フン。お前と一緒にするな」

 野口は言い捨てて、タバコをくわえる。

 高沢が鹿間村に赴任してからの飲み友達で

あった。二人が知り合ったのも飲み屋だし、

今でも会うのは飲み屋である。

 高沢が甲府に出てくる時には、いつも二人

で飲んでいる間柄であった。

 新聞社と警察という微妙な関係ではあるの

だが、お互いに意識したことはない。高沢が

鹿間村という事件性に乏しい場所に駐在して

いるのもあっただろう。しかし、それ以上に

お互いを認め合っている部分があり、何かの

時にはお互いに情報提供し合っていた。

 酒好きなところもそうだが、偏屈なところ

も似通っていたからであろう。だから、この

ように事件現場での融通も効くし、家庭問題

にも詳しいのである。

 「瑞記ちゃんも来年は中学生になるし、そ

ろそろ気難しくなる頃だ。それなのに、父親

の面倒ばかりじゃ可哀相だろ?」

 「このままじゃいけない、とは分かってる

んですけどねぇ…」

 「まったく、ダメ親父だぜ…」

 野口は紫煙を吐き出しながら、悪態をつい

た。しかし、本心から気をつかっていること

は十分に伝わってくるのだった。

 そうこうする内に、階段の終着点が見えて

きた。2〜3人の警官や鑑識官が白いシーツ

を取り巻くようにして、居るのが見える。

 「最初に言っておくが…」

 野口が白いシーツに近づきながら言った。

 「かなり上流から流されてきたようだ。流

れに揉まれて、損傷が激しいことだけは理解

しておけよ」

 「おどかさないでくださいよ」

 「写真はやめとけ。どうせ、こんなのを載

せられる訳はないんだ」

 野口が春山に言う。

 「大丈夫です。現場の様子だけですよ」

 春山はそう答えて、辺りの景色へとカメラ

を向けるのだった。

 「で、どうする?」

 野口がシーツに手をかけながら、高沢に再

度尋ねる。

 「俺が確かめたいのは、首筋だけなんです

よ。変なホクロがついていないか…ね」

 「ホクロ?」

 「ええ。きれいに三角形に並んだホクロな

んですが、ありませんでした?」

 「そんなのは見なかったな。ま、自分で確

かめてみろや」

 そう言いながら、野口がシーツをパッとめ

くった。

 「…!」

 高沢は一瞬、顔を背ける。

  しかし、おずおずと遺体へと目を戻した。

 歳は13〜14ぐらいだろうか。娘の瑞記より

少し上か、同じぐらいの少女だった。体のあ

ちこちに擦り傷や切り傷が目立つが、顔に関

しての損傷は軽微であった。

 「ちょっと、いいですか?」

 高沢はしゃがみこむようにして、少女の首

筋に目を落とす。しかし、例の3つのホクロ

は見つからなかった。

 「ねえだろ。それにしても、そのホクロと

やらが気になるのか?」

 野口は興味を示したようだ。

 「いや、まだハッキリしたことは言えない

んですけどね…」

 そう言いながら、高沢は少女の遺体に目を

走らせる。それが一点で止まった。

 「野口さん。この少女は上流で川に落ちた

んですか?」

 「ああ、そうらしいな。この子が住んでい

るという赤神村の駐在から、そういう報告が

あった。昨日のことだ」

 「事故に不審な点は?」

 「父親とイワナ釣りに出掛けて、足を滑ら

したらしい。特に事故に不審な点はないと言

っていたな」

 「そうですか…」

 「何か、気になるところがあるのか?」

 「服の内側に傷があります」

 高沢が指さした胸元に、引っ掻き傷のよう

なものが見えた。もし傷の上から服を着せた

ということになれば、それは殺人事件となる

可能性を秘めているからであった。

 「そうも見えるな」

 「気になりませんか?」

 「服自体もボロボロなんだ。それも川を流

されてきた時に出来た傷だろう」

 確かに服は擦り切れており、野口の言うこ

とももっともであった。

 「そう言われてみれば、そうかもしれませ

んねぇ…」

 「それにな。少女が事故に遭った時に、父

親と一緒に駐在も同行していたんだ。他にも

何人もの村人が見ていたらしい」

 「そりゃ、疑いようがないですね」

 「何人もいたなら、助けられなかったのか

とも思うけどな」

 「臥竜渓谷の流れは速いですからね。落ち

たら、あっという間でしょう」

 高沢は少女の遺体に手を合わせて、その場

を立ち上がった。野口がシーツを再び、少女

の遺体に重ねる。

 「死因は分かったのか?」

 野口が近くにいた鑑識官に聞く。

 「溺死ですね。ただ、落ちた瞬間に気を失

っていたのでしょう。あまり水を飲んだ様子

はありませんでしたね」

 「そうか。やはり事故だな」

 野口がそう断言し、少女の遺体を運び出す

ように指示を出す。二人の警官が遺体を担架

に載せて、運んでいった。

 「高沢、無駄足だったみたいだな」

 「ま、記者なんて、取材のほとんどは無駄

足みたいなもんですよ」

 「どうするんだ?」

 「後は上で待っている記者に任せて、俺は

その赤神村にちょっと行ってみます」

 「赤神村にか?」

 野口の表情が陰る。何か、いつもの快活さ

とは違った印象を受けた。

 「何か、まずいことでも?」

 「別に…。ただ、あそこの村の連中はかな

り変なやつらなんだよ」

 「変…というと?」

 「いや、まあ…。俺もそんなに詳しいわけ

じゃないんだけどな」

 「…?」

 「実はな…」

 そう言って、野口は高沢の耳元に口を寄せ

るように話すのだった。

 

 「ちょ、ちょっと、聞こえないじゃない」

 モニターを見ながら、シグルドが叫ぶ。

 さっきはさっきで死体を見せられてしまう

し、今度は内緒話だ。さすがにシグルドも頭

にきたらしい。

 とは言え、その顔に生気はない。先程の遺

体を見せられた際に気分が悪くなり、思わず

貧血になってしまったのだった。

 「いくら感度を上げても、ダメか…」

 テレビバエの性能では限界のようだった。

 事故に遭った少女の首筋にホクロがなかっ

たことが確認できただけでも、成果とするし

かなかった。

 「あーあ…」

 シグルドは車の外へ出て、大きく深呼吸す

る。新鮮な空気が肺の中に入り、さっきから

のモヤモヤが少しは解消された気分になる。

 「これが任務じゃなければ、もっといいん

だけどなぁ」

 そう言いながら、シグルドはストレッチ風

に軽く体を動かす。腰を回し、手を大きく伸

ばしながら、身体中の筋肉をほぐす。ずっと

モニター画面に集中してただけに肩がこって

しまっていた。

 「あれ…?」

 ふと車の向こう側に黒い人影を見たような

感じがして、シグルドは動きを止めた。

 「そこに誰かいるの?」

 シグルドが呼びかける。

 「……」

 気配はあるのに、車の陰から出ようとしな

い。だが、誰かいるのは確実だった。

 「誰、そこにいるのはっ?」

 シグルドが鋭い声を出す。そう言いながら

ゆっくりとシグルドは車の向こう側を覗ける

位置に場所を移動させていく。

 「出てきなさいっ!」

 ジリジリと動くものの、相手を確認できる

位置までは行けない。だが、たどり着く必要

はなかった。車の陰からスッと相手が立ち上

がったのである。

 相手は少年のようだった。だが、フルフェ

イスのヘルメットを被っているので顔の判別

ができない。スリムなジーンズを履き、上は

シャツの上に軽くブルゾンを羽織っている。

 「あなた、誰?」

 シグルドは警戒しながら尋ねた。同時に手

で合図を送り、工作員を車の外へと出す。

 「そのヘルメットを取りなさい。そうしな

いと、痛い目にあうわよ」

 警告を与える。すでに工作員は手に警棒の

ようなものを持っていた。

 「……」

 少年がゆっくりとヘルメットを外した。

 フサリと長い黒髪がこぼれた。髪は赤い紐

できれいに束ねられている。

 「ア、アスラ!」

 シグルドが驚く。

 ヘルメットを手にしたアスラがニコリと微

笑む。照れくさそうな笑いだった。

 確かにアスラがいつもの黒い戦闘服以外を

身に着けたのは初めてかもしれない。

 虹ヶ崎を離れているので、変装していたの

だろう。こうして見てみると、意外にラフな

恰好も似合う感じである。

 「どうして、ここに?」

 「あなたと同じ理由です」

 アスラの回答に、それもそうかとバカな質

問をした自分にシグルドが赤面する。だが、

納得している場合ではない。

 「そんな所で…、そうか。盗み聞きしてい

たのね」

 「悪いとは思いましたが、貴重な情報をあ

りがとうございました」

 アスラがペコリと頭を下げる。

 その仕種が余りにも真面目で、かえってバ

カにされているような印象を与えた。

 「この…!」

 シグルドが怒る。もっともだ。

 「では…」

 とアスラが場を離れようと動いた。

 「待ちなさい。このまま帰れるとでも思っ

ているの?」

 シグルドが駆け出し、アスラの正面へと回

り込んだ。行く手を塞ぐように立つ。

 「こんな所で争っている時間はないはずで

す。この事件を解明するのが、先なのではあ

りませんか?」

 「それは私たちの仕事よ。でも、あなたは

おとなしく捕まってもらうわ」

 すでにアスラの背後には、工作員が回り込

んでいる。前後から挟み打ちする構えだ。

 「そう簡単には捕まりません」

 アスラが静かに間合いを取った。

 「どうかしら?」

 シグルドが目で合図を送る。工作員が持っ

ている警棒の手元を操作した。

 バチッ!

 鋭いスパーク音がして、警棒が青白い火花

を散らす。強力なバッテリーを内蔵した電撃

警棒、ショックバトンと呼ばれるものだ。

 「……」

 アスラがゆっくりと手を伸ばし、そのまま

静かに弧を描くように回していく。肩を過ぎ

る辺りから、指先が鋭く伸ばす。

 その間にもジリジリと工作員はアスラへと

近づいていく。ショックバトンが青白い閃光

を放ちながら、持ち上がる。

 アスラの両手が頭の上で交差し、そのまま

クロスした形で下りていく。静かに息を吐き

ながら、構えた手は手刀の形を作りながら顔

の前を通りすぎていく…。

 「……」

 シグルドもジリジリと間合いを詰めつつ、

アスラの動きに目を走らせる。

 アスラはゆっくりと手を構えていく…。

 そして、顎の位置まで下りた所で両手がビ

シッと反転した。

 「かかれっ!」

 アスラの近接格闘の構えが整ったと同時に

シグルドの鋭い指示が飛んだ。

 工作員が唸りを上げて、ショックバトンを

アスラへと振り下ろす。

 「はっ!」

 工作員の腕が完全に振り下ろされる前に、

アスラの手が関節を捉える。そのまま、関節

を捩じるように工作員の腕をはね上げた。

 「たあっ!」

 掛け声と共に、工作員の体がフワリと舞う

ように放り出された。ショックバトンが地面

へと転がる。

 渾身の一撃で振り下ろしていただけに、途

中で関節を決められてしまうと、そのパワー

も相手に逆用されてしまう。まさに力で劣る

アスラならではの技であった。

 「何やってんのよ!」

 シグルドが叱咤する。その声に工作員が起

き上がろうとした瞬間、

 「そうはいきませんっ!」

 アスラがショックバトンを拾い上げて、工

作員へと押しつけた。

 バシッ!

 一瞬、火花が走った。工作員の体がビクン

と跳ねあがる。

 「な、何てことをっ!」

 シグルドが叫んだが、すでに工作員は微か

な痙攣を残して失神していた。屈強の工作員

と言えど、強力な電撃には無力だった。

 「ゴメンなさい」

 アスラは倒れた工作員に一言かけて、それ

からシグルドの方へと向き直った。

 「さて、どうしますか?」

 「…今度は私が相手よ」

 シグルドが身構える。とは言え、工作員は

すでに倒されてしまっている。しかもアスラ

の手にはショックバトンがあるのだ。

 さらに言えば…。これまでシグルドが直接

的に戦闘したことなどない。実際に、戦った

ことがないのである。

 勝算はあるのだろうか…?

 二人は向かい合ったまま、互いをにらみつ

けるように視線を交わす。

 「アスラ、覚悟っ!」

 シグルドがアスラを指さした。

 シュッと風を切るような音が微かに聞こえ

て、同時にアスラがショックバトンを目の前

にかざすように持ち上げる。

 ガキィンッッッ!

 見れば、アスラの持つショックバトンに小

さな矢のようなものが突き刺さっている。

 「危なかったぁ…」

 アスラはふと安堵のため息を漏らした。

 シグルドは袖口の奥に小型の麻酔矢を仕込

んだダーツガンを装備していたのだ。

 「し、しまった…」

 必殺の一撃を外してしまったために、シグ

ルドには打つ手がない。冷や汗が背を伝う。

 だが、アスラはそのままショックバトンを

放り捨てた。

 「私たちが争っても、意味がありません」

 そう言って、アスラはタッと駆けだした。

 「な…?」

 拍子抜けしたシグルドが動けない間に、ア

スラは茂みの中に隠していたスクーターへと

跨がっていた。

 「こ、子供のくせにスクーターなんて!」

 シグルドが驚くのも無理はない。アスラが

スクーターを運転できるとは思っていなかっ

たのである。しかし、見た目が子供でもアス

ラはレジスタンスである。一応、未来でも小

型バイクなどを運転する技術についての訓練

は一通り受けていた。

 ウォンウォン!

 軽快なエンジン音を響かせて、スクーター

のマフラーから排気煙が昇る。

 「逃がさないわよ!」

 シグルドが慌てて、車に飛び乗る。だが、

運転席にキーがついていなかった。

 「キ、キーは?」

 もしやと振り返ると、アスラがニコリと微

笑んだ。その手からチャラッとキーがこぼれ

るのが見えた。

 「い、いつの間に…」

 シグルドが呆気にとられる。いつ抜き取ら

れたのかも分からなかった。

 アスラはキーをポイと近くの茂みへと放り

捨てた。後で探しやすいように、道路のすぐ

脇に捨てたのが優しさであった。

 「では、お先に…」

 ヘルメットを被り、アスラはスクーターを

発進させた。

 「ま、待ちなさいっ!」

 慌てて、シグルドはダッシュボードからパ

ラライザーを取り出す。麻酔光線銃と異名を

持つ銃の先をアスラに向けるが、すでに射程

距離を遠く離れていた。悔しいが、もはや手

遅れである。シグルドはトリガーにかけた指

をゆっくりと離しながら、唇を噛んだ。

 ビイイイィィィ…。

 アスラの乗ったスクーターの音が、次第に

遠ざかっていく。

 「む、無免許運転は犯罪よっっ!」

 シグルドがふと気づいたように叫んだ。見

た目が子供である以上、免許を取得できるは

ずがない。まして、アスラは20世紀における

住民登録すらないのだ。無免許運転であるこ

とは間違いない。それは、例えヒロインでも

許されることではなかった。

 「大体、どこからスクーターを手に入れた

のかしら…?」

 確かに…。シグルドの疑問はもっともなこ

とに間違いなかった。

 

                                                                     つづく