プロジェクト・エデン特別篇

  帝国最大の作戦

 

                              第六章

 

  コトコトと音をたてながら、高密度テフロン加工の鍋は白い湯気

をあげていた。中にはもうすぐ沸点に達しようとしている熱湯が満

たされている。

  「うむ。もうそろそろ、いい湯加減になったようだな」

  白に整えられた厨房用の制服が似合う料理長が、鍋をのぞきこ

むようにして言った。

  「そうですね。よろしいかと思います」

  助手をつとめる若い料理人が相づちをうつ。

  広い厨房の中にいるのは二人だけである。

  たくさんの料理機具が並ぶ厨房は、あくまでも皇帝専用の食事

を作るためだけに作られた空間である。それ以外の用途に使われ

ることは、まずない。通常は40人以上のスタッフがひしめいている

のだが、今回は料理長と先任コックの二人だけで担当するように

との勅命であった。その背景には、あくまでも内密に行わなければ

ならないという事情があった。

  それはそうである。「プロジェクト・タコヤキ」と銘打って、大々的な

動員を行ったにもかかわらず、その目的が「皇帝がタコを食うため」

では大問題である。

  下手に情報漏れすれば、それこそクーデターが起こりかねない。

  二人の料理人も機密厳守の誓約書を書かされている。もし破るよ

うなことがあれば、彼らに次の日が訪れることはない…。

  そんなことがありながらも、二人の料理人の気持ちは高揚していた。

  伝説の料理と噂される「タコヤキ」に挑もうとする料理人魂が、彼ら

を異様に興奮させていたのである。

  「料理長、いよいよですね」

  白い湯気のあがる鍋を見ながら、若い助手が声を弾ませる。

  「ああ。これで私も夢にまで見たアイアンシェフになれるかもしれん」

  料理長の声も心なしか興奮している。

  ちなみにアイアンシェフとは、20世紀の古文献に記されていたという

伝説の料理人の称号である。はっきりしたことはわからないが、20世紀

には「キッチンスタジアム」と呼ばれる巨大な闘技場が存在し、世界中の

料理人たちが命を賭して争っていたと言われている。そこで最後まで勝ち

抜いた者だけに与えられる名誉ある称号が「アイアンシェフ」である。

  30世紀の人々の多くは、包丁を振り回し、麺棒で殴り合い、その割烹着

を血に染めながら戦う武装料理人の姿を想像している。また料理人たち

の多くは、たった一つの料理の味を競う闘いと理解しているのだが、不味

かった場合にはその場で処刑されてしまう危険な競技だという点で一致

した見解を示している。

  いずれにしても30世紀における過去の情報は混乱や誤解が激しく、そ

の真偽は定かではない。

  「さあ、タコを連れてきてくれ」

  料理長に言われて、助手が銀色の容器を運んできた。

  「さぁ、出ておいで」

  興奮に震える手で蓋を開けると、可愛らしいピンクの触手がニョロッと

はみだした。そして、可愛らしいピンクの生物が顔をのぞかせる。

  帝国生化学研究所が苦心惨澹の末に生み出した「タコ」であった。

  しかし、その可愛らしい姿の裏側に隠されている真実を、二人の料理

人が知るはずもなかった…。

  「こんな可愛い生物を食べるんですか?」

  その姿を見た助手の心に、微かに罪悪感がよぎる。

  「…そうだ」

  助手の言葉に料理長もためらいの表情を浮かべた。

  「なんか、可哀相な気もしますね…」

  助手はタコの触手をいじらうようにして、ため息をついた。

  「我々は料理人だ。それがどのような姿をしていたにせよ、我々の前

に存在するのは一つの食材にすぎん。同情は禁物だ!」

  料理長が断固とした口調で、助手を叱咤する。

  それは料理長が自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。

  「はい。料理人にあるまじき発言でした」

  「わかればいい。さぁ、いよいよタコを料理するぞ!」

  料理長はそう言うと、タコをむんずとつかんだ。手の中でクネクネと

暴れる様子は、赤ん坊がイヤイヤをしているようにも見える。

  「む…」

  さしもの料理長の心にも、一瞬の迷いが走る。

  「りょ、料理長…」

  助手がうめく。その弱気を具現化したような言葉が、料理長の意地

を刺激する結果につながった。

  「お、俺は料理人だぁぁぁ!」

  己の心に芽生えた弱さを断ち切るように、料理長はタコを鍋の中へ

放り込む。熱い飛沫をあげて、タコは沸沸とたぎる熱湯の底へと沈ん

でいった…。

  「すまんな…」

  広がる波紋を見つめながら、料理長は静かにつぶやいた。

  その言葉には料理人魂を優先させた行為に対する後悔の念も含ま

れていたのかもしれない。

  だが、自分の行為を後悔するには早すぎた。

  「・・・?」

  鍋の表面に広がる波紋が消えないばかりか、ますます激しく広がり

はじめたのだ。しかも、ザブザブと波立つ気配すらある。

  「りょ、料理長…」

  助手も異変に気づいたようであった。その声に脅えが混じっている。

  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・。

  鈍い地鳴りのような響きが聞こえ出した。

  タコが消えた鍋を中心にして、部屋全体が振動しているようだった。

  「な、何が起きたんだ…?」

  動揺する料理長の目の前で、鍋が大きく震え始める。まるで中に閉じ

込められた怪物が這い出そうとしているかのように…。

  ザブンと水面が大きく波立ち、熱湯の飛沫が弾ける。

  「ウアッチ…!」

  熱湯の洗礼を浴びた助手が悲鳴を上げた。だが、熱湯のうねりは激し

くなるばかりである。荒れ狂う海を思わせるほどであった。

  「あ…、あれは…。あれは何だ…?」

  信じられないものを見つけたかのように、料理長の目が驚愕に歪む。

  鍋の表面に何かが動いた。そして、それは大きくなっていくようにも見

えた。

  次の瞬間、鍋が破裂した。立ち上る湯気と崩れ落ちる厨房の粉塵の彼

方に巨大な影が見えた。

  「うわあぁぁぁ!」

  料理長と助手の絶叫は、厨房全体が破壊される轟音にかき消された。

  床が砕け、柱が折れ、天井が崩れ落ちる。

  その光景の中で、悪魔を思わせる巨大な影が体積を増していく。

  その影が不気味な触手をうねらせ、自分へとたたきつけてくる様子が

料理長の最後の記憶となった…。

 

  その少し前。

  皇帝専用の食堂で、フェンリルは皇帝と共に席についていた。

  「フェンリル。楽しみじゃのう…」

  期待を両目に漂わせて、皇帝が話し掛ける。

  「いいのですか? 私までもが御馳走になっても…?」

  「かまわん。今日、タコヤキを食せるのも将軍のおかげだ」

  「ありがたき幸せ…」

  そう応えたものの、フェンリルの表情は陰鬱だった。

  脳裏には厨房へと運ばれていくタコの可愛らしい姿だけが鮮明に残っ

ている。やるせなさが胸をしめつけていた。

  (ふ…、フェンリルともあろう者が…)

  唇に微かな自嘲の笑みが浮かんだ。

  ミレニアム帝国の鬼将軍と恐れられた自分に、このような感傷が残って

いたことに対する意外さがおかしかったのである。

  「フェンリル」

  「…は?」

  不意に呼ばれて、フェンリルが慌てる。

  「どうかしたのか? タコを食べられるのに、元気がないのう…」

  「いえ…、何でもありません」

  フェンリルが取り繕うように答えた時だった。

  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・!

  鈍い地響きにも似た振動が伝わってきた。

  「な、何事じゃ!」

  皇帝がよろけて、テーブルクロスをつかむ。

  ひっぱられたショックでテーブルの上に飾られていた花瓶が倒れ、

真紅の花弁が水と共に散った。

  「いったい、何事か!」

  フェンリルが立ち上がり、衛兵たちに叫ぶ。

  だが、その衛兵たちも激しくなる振動の中で、ようやくバランスを保

つのに精一杯であった。

  ビシッ!

  大理石の壁に細く亀裂が走る。

  「フェ、フェンリル…!」

  皇帝が情けない声を出しながら、再びテーブルクロスにしがみつく。

  だが、今度ばかりはうまくいかなかった。テーブルクロスを引き抜いた

形で見事に皇帝はひっくりかえってしまう。さらにそこから起き上がろう

とした瞬間、落ちてきた花瓶に足を取られ、見事にコケる。さらに蹴り上

げた花瓶が降ってきて、皇帝の頭でコーンと心地よい響きをたてた。

  ほとんどギャグマンガとしか思えない。

  でも、笑っちゃいけない。相手はミレニアム帝国の偉大なる皇帝陛下

にあらせられるのだから…。

  ギギイィィ…!

  天井がきしみ、細かい破片がパラパラと雨のように降り注いだ…!

  「いかん! 皇帝陛下を安全な場所へと避難あそばせよ!」

  今更ながらに、異常事態を察したフェンリルが叫んだ。

  その雷鳴にも似た叫びに、衛兵たちが弾かれたように皇帝へと駆け

寄った。急いで抱き起こした瞬間、壁の亀裂が蜘蛛の巣のように広が

る。と同時に轟音の中に崩れ落ちた!

  「あれは…!」

  フェンリルの背筋に戦慄が走った。目が大きく見開かれる。

  ガラリと崩れた壁の向こうに。巨大な影がのたうっている。

  不気味な触手のようなシルエットがウネウネと動き、それが大きく振ら

れるごとに王宮が瓦礫に変わっていく…。

  「な、なんなんだ…?」

   フェンリルの声も混乱の極みに達している。

  見たこともない怪物が暴れまわっていた。

  しかも、その怪物は忽然と王宮に現れたのである。前触れもなく…。

  張り巡らされた警備装置は何をしていたのか…?

  熱感知センサーは? 赤外線センサーは? 動体感知レーダーは?

  物体固有の振動数を瞬時に識別する振動センサーは?

  5q先の蝿の羽音さえ聞き分ける高性能集音マイクは何を聞いていた?

  周辺に配置されている300人の警備兵は、何をしていたのか?

  矢継ぎ早に脳裏を駆け巡る疑問の全てに、フェンリルは解答を見つけ

出せなかった。それだけ異常な光景だったのだ。

  「皇帝陛下を早く!」

  モタモタしている皇帝を見かねて、フェンリルが再度叫んだ。

  腰を抜かしてしまったらしい皇帝を担ぎ上げるようにして、衛兵たちが

部屋の外へと逃れ出て行く。

  その直後に皇帝が座っていた席を、落ちてきたシャンデリアが直撃した。

  砕け散るガラスが、ダイヤモンドダストのように華美に見えた。

  「gyyyyiyiyiiii・・・・・・!」

  形容しがたい奇声がこだました。

  聞く者の神経を汚染するような奇怪な雄叫びであった。

  「・・・・・・・・」

  崩れ落ちる食堂の一角で、フェンリルは荒れ狂う怪物の影に目を注い

でいる。少しでも正体を見極めようとしているのだ。

  逃げようとせずにいる態度は、さすがにフェンリル将軍であると言えよう。

  「・・・・・・!」

  フェンリルは暴れる怪物の姿形に記憶があった。

  ウネウネと動く何本もの触手。全体的に丸みを帯びたフォルム…。

  そして、丸い黒真珠をはめこんだような目…。

  「ま、まさか…?」

  ありえない!

  フェンリルは自分が判断した解答を、心の中でみずから打ち消した。

  そんなはずはないのだ。

  体表を覆う醜怪な斑紋は? ニュウと伸びた不気味な口は?

  いやいや、何よりも…。あんなに大きいはずがないではないか…!

  「バ…、バカな…」

  フェンリルがうろたえたようにつぶやく。

  その時、ドカドカと荒々しい靴音を響かせながら、黒い制服の一団が

部屋の中へと飛び込んできた。黒地に銀の刺繍をあしらった制服は、

王宮に配備された親衛警備隊のものである。

  「フェ、フェンリル将軍! これは一体…?」

  先頭にいる将校が、暴れまわる怪物を見ながら叫んだ。

  だが、その質問にフェンリルは答えない。いや、答えられない。

  「gypyrrururlil・・・・!!」

  またも不気味な鳴き声が響いた。

  大木の幹ほどもあろうかという触手が、壁をぶちぬいて現れる。

  「総員、かまえ!」

  恐怖を顔に刻んだ将校が叫ぶ。それと同時に親衛警備隊の隊員たちが

一斉に荷電粒子小銃を怪物へと向ける。

  「ま、待て! 待つんだ!」

  フェンリルがあわてて制止するが、それは間に合わなかった!

  「撃てえぇぇぇ!」

  将校自らが引き金を落とすと共に、荷電粒子小銃が一気に吠える。

  ライトパープルの彩りを帯びた電子破壊線がほとばしる!

  「gyrtuuuuyyy!」

  鋼鉄をも粉砕する光線を浴び、巨大な怪物は深い紫の稲妻に包まれた。

  細い放電プラズマが縦横に走り、目もくらむばかりのフラッシュが瞬く。

  「や、やったか…?」

  小銃を下ろして、将校は喜んだように言う。

  だが、その喜びは数秒を待たずして、裏切られた。

  怪物は大きく身を震わせ、その身にまとわりついた放電を振り払ったのだ。

  「し、信じられん…」

  将校が唖然とする前で、巨大な怪物が動き始めた。

  黒いガラス玉のような眼に、怒りとも憎悪ともつかない光が宿っている。

  「に、逃げろ! 逃げるんだっ!」

  フェンリルが立ち尽くす隊員たちに叫ぶ。だが、隊員たちは金縛りにあった

ように動けないでいた。恐怖と驚愕が彼らの思考を麻痺させ、フェンリルの指

示すらも届かないのだ。指示を出すべき将校も、呆然と立ち尽くしている。

  屈強な親衛警備隊の多くは、キルケウイルスの感染者であった。指揮官の

命令に絶対服従する勇猛果敢な兵士たちだが、その実力も指揮官の正確な

指示がなければ発揮されることもない。ただの木偶人形に過ぎなくなってしま

うのである。

  うなりをあげる触手が、居並ぶ親衛警備隊の隊員たちをなぎ払った。

  「うわあぁぁっ!」

  ある隊員は10メートルも吹っ飛ばされ、壁へと激突した。ある者は小銃を手

にしたまま、その場へと昏倒した。またある者は、ゴキリという不気味な音を体

から響かせて、床へと沈んでいく。

  「・・・・・・・」

  たった一振りで、12名ほどの屈強な隊員たちが倒されてしまっていた。

  腕があらぬ方向に曲がっている者もいれば、頭から血を流して動かない者も

いる。指揮官である将校も、その中で動かなくなっている…。

  「gyupyrrrrlu・・・・・」

  隊員たちを全滅させた怪物は歓喜の声をあげると、ゆっくりと王宮の外へ

向かって移動を開始した。その動きに合わせて、壁が崩れ、柱がへし折られ

ていく。もうもうたる粉塵が舞いあがった。

  「な、なんたることだ…」

  白く煙る廃虚と化した部屋に取り残されたフェンリルがつぶやく。

  その目には、遠ざかって行く巨大な怪物の姿が映っていた…。

  「フェンリル将軍!」

  不意に大きな声で呼ばれて、フェンリルが振りかえる。

  主席副官のヘルモーズが数人の親衛隊員を伴って、ちょうど部屋へ飛び

込んでくるところだった。

  「将軍、ご無事でしたか!」

  声をかけてくるヘルモーズに、フェンリルは黙ってうなずく。

  「こ、これは…」

  床に倒れている隊員たちを見とめて、ヘルモーズがうめいた。

  「あいつにやられたのだ。息があるうちに運び出してくれ」

  フェンリルが言う。ヘルモーズはすぐに指示を出し、部下たちが倒れている仲間

たちを外へと運び出していく。

  「皇帝陛下は無事に脱出されたか…?」

  その様子を見ながら、ハッとしたようにフェンリルが聞く。

  「はい。裏庭に待機させてあったSH−3で、すでにここを離れられております」

  ヘルモーズが即座に返答した。

  SH−3とは、30世紀に開発された垂直離陸着飛行機である。8人乗りのヘリの

ような機体だが、圧縮空気を噴出して飛行する無公害飛行機械として名高い。

  「そうか、それなら一安心だ…」

  フェンリルは安堵の息を漏らした。皇帝にもしものことがあれば、責任をとるだけ

では済まされない。

  「一体、あの怪物は…?」

  ヘルモーズが聞きかけた時、頭上を轟音が通りすぎていった。

  迷彩色に塗られた機体が編隊を組んで、低空を飛んでいくのが見えた。

  「航空部隊を呼んだのか?」

  フェンリルがあわててヘルモーズに聞く。

  「はい。王宮付近に駐屯している第7航空騎兵を出動させましたが」

  「いかん。下手にあいつを刺激するのは、逆効果だ!」

  「し、しかし、あのような怪物を放っておくわけには…」

  「荷電粒子ビームも通じないような相手だぞ!」

  「そんなバカな…?」

  「すぐに攻撃をやめさせるんだ。ついてこい!」

  走り出すフェンリル。

  その後を蒼白な表情でついていくヘルモーズであった。

 

  その頃、すでに王宮の外へと向かう怪物に第7航空騎兵は肉迫しようと

していた。

  上下に4枚づつのプロペラを回転させているのは、ミレニアム帝国の数

少ない攻撃兵器であるAS22型戦闘ヘリコプターである。通称「ワイバーン」

と呼ばれているものだ。主にレジスタンスとの闘いで、退路遮断や掃討戦に

使用される「空の死神」とも噂される機体であった。

  「全機、攻撃準備!」

  隊長機から指示が飛び、全部で5機のヘリが見事に散開する。

  その行く手には、不気味な触手をうねらせる怪物の姿があった。

  「い、一体なんなんだ…。あんな生物、見たことないぞ」

  機体下部に装備したロケット弾の安全装置を解除しながら、騎兵隊長がうめ

いた。生まれてこのかた、見たこともない怪物に動揺が走る。

  全長20メートルはあろうか。その体表は醜い斑紋に覆われ、のたうつ触手の

一本一本は大木にも匹敵する太さだ。

  「デルタフォーメーションを使うぞ。全機、突入態勢を取れ!」

  隊長機が大きくダイブするようにして、フォーメーションの先頭に位置した。

  大きく三角形を形作るようにして、5機の戦闘ヘリが配置についた。

  「gyyyyyy・・・・!」

  近づいてくる存在に気づいたのか、怪物が鳴き声をあげる。

  「なんて、不気味な声なんだ」

  怪物をターゲットスコープに捉えながら、隊長は顔をしかめた。

  その汗ばんだ指は、ロケット弾の発射ボタンに添えられている。

  「いくぞぉぉぉ!」

  自らを奮い立たせるような雄叫びと共に、隊長機は突入を開始した。

 

  「い、いかん!」

  廃虚と化した王宮の中庭へと出てきたフェンリルは、突入していく航空騎兵

の姿に叫んだ。

  「将軍、聞こえるわけがありません!」

  そりゃ、そうである。ヘルモーズが言わなくても当然のことだ。

  「やめろ! わしの声が聞こえんのか!」

  「だから、聞こえるわけがありませんって!」

  叫ぶフェンリルに、ヘルモーズが呆れたように言う。

  そんな二人がすったもんだやっている間に、航空騎兵は怪物への攻撃を

開始していた。

 

  「発射!」

  グォム、グォム、グォム!

  オレンジ色の炎を吐きながら、ロケット弾が機体の下から放たれていく。

  隊長機に続く連中も、同じようにロケット弾を発射した。

  一機につき、4発。合計して20発の炎の矢が、巨大な怪物めがけて飛んでいく。

  そして、命中した。

ドグワァァァァン!

  すさまじい轟音と共に、巨大な怪物が炎と煙に包まれた。

  「ハッハッハ・・・! ざまあみ…」

  命中を見た隊長の「ざまあみろ」という言葉は、最後まで続かなかった。

  紅蓮の炎の中から、巨大な怪物が浮き上がったのだ。その触手を大きく広げ、

その間の薄い膜のようなものを広げて舞い上がったのである。それは、炎によっ

て発生した上昇気流に乗ったかのようであった。

  「と…、とんだ…?」

  まさか空を飛ぶなんて、予想できるはずもない。はっきり言って、反則技だ。

  「そ、そんなのズルい…」

  ボソリとつぶやく隊長の思いもわからぬでもない。

  だが、その予想にもしなかったことは現実に目の前にあった。

  舞い上がった怪物は航空騎兵隊の進路を塞ぐようにして、立ちはだかって

いたのである。そして、それを回避することは不可能だった。

  「うわぁぁぁ!」

  隊長の絶叫が響きわたった。

 

  次々に怪物に衝突し、紅い火の玉となっていく航空騎兵隊。

  その惨状に、思わずフェンリルは目をそらした。パッという明るい輝きに続いて、

爆発の轟音が届く。それが第7航空騎兵の最後だった。

  「そ、空を飛ぶなんて…」

  余りの驚きに、ヘルモーズの声も震えている。

  「・・・・・・・・」

  思わずそらした目を戻し、フェンリルは空に浮かぶ怪物を見つめた。

  「将軍、あれは何なんですか!」

  ヘルモーズが聞く。だが、フェンリルはじっと黙ったままだった。

  「将軍!」

  「・・・・・・・・」

  「将軍、答えてください!」

  ヘルモーズが食い下がる。そのまなざしは必死だ。

  「あれは…」

  フェンリルがボソリと口を開く。

  「あれは…、…将軍、あれは何なんですか?」

  「あ、あれは…」

  「あれは?」

  フェンリルの答えを待って、ヘルモーズがゴクリとつばを飲む。

  「あれは、タコラ…」

  「タ、タコラ!?」

  「あ・・・、い、いや、その…」

  フェンリルがあわてて言い繕う。

  フェンリルとしては「あれは、タコだ」と言いたかったのである。しかし、

かなり動揺していたために口がよく回らなかったのだ。もともと「だ」と「ら」は

言いにくい言葉であり、アナウンサーのテストでも難問だとされているもので

ある。フェンリルがうまく発音できなかったのも、無理はない。

  しかし、ここでの発音ミスは致命的であった。

  「あ、あの怪物はタコラというんですね!」

  ヘルモーズが興奮したように聞き返す。

  タコラという名前がいかにも怪獣的であり、それによって普通のタコとして

生み出されたはずの生物は、一気に「怪獣タコラ」となってしまったのだ。

  その最後の一押しをしたのは、他ならぬフェンリルであった。

  「あ、いや…、その…」

  あわてて、訂正しようとするフェンリルの言葉をヘルモーズはもはや聞いて

いなかった。携帯無線機を取り出すと、そのマイクに向かって叫ぶ。

  「怪物の正体が判明した。怪物の名はタコラ!」

  思いっきり叫んでしまっている。

  「フェンリル将軍が言っておられる。間違いない! 怪獣タコラだ!」

  フェンリルの気持ちも知らず、ヘルモーズが「タコラ」を連呼する。しかも、

ご丁寧にもフェンリルの名前まで、しっかりと出していた。

  「どこか、遠くに行きたい…」

  フェンリルがつぶやく。今はとても、現実逃避したくなっていた。

  (わ、わしが…、わしが何か悪いことでもした…?)

  思わず、そう心の中でつぶやくフェンリル将軍であった。

  彼は今日ほど、自分が可哀相になったことはなかった。

  泣きたくなるような目で、空を見上げる。

  そこには、フヨフヨと巨大なタコが浮かんでいた。不気味な姿は、とても

あの可愛らしいピンクのタコとは似ても似つかない。

  今、怪獣タコラの逆襲が始まったのであった…。

 

                                                                      つづく