プロジェクト・エデン特別篇

  帝国最大の作戦

 

                      第十章

 

  ドンツク…、ドンツク…、ドンツクドンツク…!

  重々しい太鼓のリズムが人々の鼓膜をビリビリと震わせていた。

  そのリズムに合わせて、人は狂喜し、人は踊り、人は歌う!

  「タコラ〜やっ! タコラ〜やっ!タコラ〜やっ!」

  妖しい呪文のような詞をメロディーに乗せて、白衣の群集が歌っている。

  やがて、群集は不気味な統制の下に同じ行動をタコラへと繰り返し始めた。

  ・・・・両手を高々と掲げ、次いで拝むように上体もろとも大地に伏す。

  この動きをただ繰り返し、一つのウェーブとなっていく。

  と同時に、感極まったように妖しい歌はさらに盛り上がっていくのだった。

  「タコラ〜やっ! タコラ〜やっ! タコラ〜やっ!」

  ドンツク…ドンツク…ドンツク…ドンツクドンツク…!

  歌とリズムは互いに高め合い、反響し合いながら、さらなる高まりを見せていた。

  『タコラ教』・・・・。

  突如出現した怪獣タコラを降臨した神と崇拝し、おごれる人類に裁きを下すた

めに遣わされた使者であると信じきっている新興宗教団体である。

  新興と言っても、できたてのホヤホヤ。ほとんど思いつきの旗揚げ団体である。

  だが、彼らはタコラを信じていた。

  「偽りの享楽に溺れてしまった人類を救済する神の遣いである」と・・・。

  その思いは正しいものなのか、それとも単なる勘違いなのか・・・?

  まともに考えてみれば、それは99%が勘違いなのかもしれない。

  ・・・・・・・たぶん、そうだろう。

  しかし、わずかな水の一滴が大海に波紋を呼び起こしてしまうこともある。

  それはこれまでに繰り返されてきた歴史の営みが如実に語っていることである。

  タコラの出現。そして、タコラ教の出現。

  激動するミレニアム帝国の中で、少なくとも一人の男の心に大きな波紋が生まれ

つつあることは疑いようのない事実であった・・・・。

 

  幹線道路を漆黒の機動車両が疾駆していた。

  ボディに描かれた黄金の双頭龍は、ミレニアム帝国軍最高司令官の紋章である。

  この車に座上できる唯一の人物、フェンリル将軍はタコラ教を解散させるために

最前線へと急いでいる途上にあった。

   「間もなく現場に到着いたします」

  フェンリルの横に座る主席副官のヘルモーズが言った。

  しかし、フェンリルは窓の外に目を向けたままでジッと何かを考え込んでいる様子

であった。深く悩んでいるようにも見える。

  「将軍、どうかしましたか?」

  「・・・・・・・・」

  「将軍?」

  「あ、ああ…、どうかしたのか?」

  ようやく気づいたように、フェンリルが振り向く。

  「いえ、間もなくタコラのいる現場に到着いたしますので…」

  「そのようだな…」

  フェンリルは短く答えて、再び窓の外へと目を向けた。

  ヘルモーズに言われるまでもなく、自分の乗る機動車両が最前線に近づいてい

ることは分かっていた。沿道に配備された帝国軍の戦闘車両と空を舞う航空騎兵

の数が増えていくのが、何よりの証拠であった。各戦闘車両の荷電粒子ビーム砲

は同じ方向へ向けられ、鈍い光を放っている。

  「・・・・・・・・・」

  フェンリルはその物言わぬ兵器群を見つめながら、自分たちの存在価値につい

て思いを迷わせていた…。

  永遠の平和を謳歌し、絶対値としての幸福を標榜するミレニアム帝国。

  人類が求めてやまなかった楽園(エデン)がフェンリルの誇りであり、帝国に対す

る絶対的忠誠の根幹であった。この永遠の平和を守りぬくことを自分の使命と感じ、

崇高なる義務と信じてきたのである。・・・・・だが、それが揺らいでいた。

  窓の向こうに見える兵器群は、穏やかな日差しの中で凶凶しい光を放っている。

  平和を守るためとは言え、兵器の存在は平和の対極に位置するものだ。ひいて

は、軍隊の存在そのものが絶対的な平和を脅かしていることは間違いない。

  もともとは帝国の平和を脅かすレジスタンスを討伐するために創設された帝国軍

である。その創設が間違っていたとは、フェンリルも思っていない。

  だが、その矛先がタコラに向けられ、今またタコラ教団へと向けられるに至っている。

  これで本当に「帝国は平和だ」と言えるのだろうか?

  古来、平和維持を目的とした軍事力の保持が多くの戦乱を生み出し、助長してき

たのは事実だ。平和のための軍隊が、平和そのものを否定する存在に変貌してい

くのは過去の歴史が物語っている。

  (ミレニアム軍が存在する限り、ミレニアムの平和はあり得ないのか?)

  フェンリルの心に起きた波紋とは、まさにその一点であった。

  タコラが恐るべき破壊力を持っているとは言え、それを生み出したのは単に皇帝

のエゴである。その責任はタコラを誕生させた科学者たちにも、手を貸したフェンリ

ル自身にもある。自分たちで勝手に生み出しておいて、邪魔になったら抹殺しよう

とする自分たちの行動に非がないとは言えなかった。

  その尖兵として機能しているのがミレニアム帝国軍であり、それを統轄指揮してい

るのが自分であることに、フェンリルは疲れを感じていた。

  『おごれる人類に鉄槌を下す神の使者なのだ!』

  フェンリルの脳裏に、タコラ教の教祖が叫んでいた言葉がよみがえる。

  その言葉はフェンリルの心に、抜けない薔薇の棘として突き刺さっている。

  「まさに、その通りかもしれんな…」

  フェンリルは苦笑を浮かべながら、そうつぶやいた。

  「将軍?」

  つぶやきを耳にしたヘルモーズが不思議そうに、フェンリルを見る。

  フェンリルはそれきり何も言わず、黙って窓の外を眺めているだけであった…。

 

  「タコラ〜やっ! タコラ〜やっ! タコラ〜やっ!」

  不気味な呪文のような歌声に合わせて、無数のタコラが踊り狂っていた。

  いや、正確にはタコラではない。

  それは、Tシャツにプリントされたタコラのキャラクターイラストであった。

  踊り狂う信者の白装束の下は、なんと見事に揃えられたオリジナルシャツだっ

たのである。ここまで周到に準備しているとは余程の狂信者なのか、それとも、

ただのタコマニアなのだろうか・・・。

  よく見れば、タコラのコスプレをしている信者の姿も見える。本人はかなりマジ

にやっているようだが、どう見てもタコヤキ屋に雇われたチラシ配りのアルバイト

にしか見えない。これもタコヤキから生み出されたタコラの呪いなのだろうか。

  そのクレクレタコラにも似たコスプレ信者の踊り狂う様子は、悪夢以外の何物

でもなかった…。

  「う〜む…」

  目の前に繰り広げられるタコラ教の踊りを見ながら、フェンリルがうめく。

  横にいるヘルモーズの顔も青ざめていた。さすがに対策本部のモニターで

見るのと、現場で見るのとでは臨場感が違う。

  「・・・・よく分からんが、最近はああいうファッションが流行っているのか?」

  フェンリルがマジメな顔で、ヘルモーズに尋ねる。

  「そ、そんな訳はありません」

  ヘルモーズがブンブンと首を振りながら、答えた。

  「そうか。いや、わしが世の中を分かっていないのかと思ったよ」

  フェンリルがウンウンと肯く。

  (いえ、世の中を分かっていないのは確かかも…)

  ヘルモーズは心の中で思うだけで、口には出さない。世の中を分かっていな

いのではなく、根本的に感覚がズレてるのだとは言えなかった。

  完全な職業軍人としての人生しか送ってこなかったフェンリルの様子を見て、

自分はこうならないように気をつけようと思うヘルモーズであった。

  「さて、いいかげんにやめさせないとな…」

  フェンリルがタコラ教団の方を見ながら、言った。

  「はい。すでに群集に使用する神経麻痺ガスの準備は出来ております」

  ヘルモーズが鎮圧の準備が出来ていることを告げる。

  「いや、その必要はない」

  「は? どういうことでしょうか?」

  「奴等を見たところ、キルケウイルスの感染者もかなり混じっているようだ。お

そらくは管理者が信者になっており、それに引きずられているのだろう」

  「では、その管理者を押さえてしまえば・・・」

  「その管理者も引きずられているのだ。要は、あの教祖を説得してしまえば

いいのだ」

  「それで、タコラ教は解散するのでしょうか?」

  「教祖が説得されれば、教義は崩れる。そうなってしまえば新興宗教など、

コミケで燃え尽きた同人作家にも等しい」

  恐ろしい例えをしながら、フェンリルは自信たっぷりに言う。

  「なるほど、さすがはフェンリル将軍。私など、あのような教祖を見ただけで

説得する自信を失ってしまいます」

  ヘルモーズが感きわまったように、何度もうなずいた。

  「任せておけ!」

  そう言いながら、ゆっくりとフェンリルは歩み出る。

  (わしの気持ちは分からぬか…)

  部下には威厳ある姿を見せているものの、内心は重い鉛を呑み込んだよう

なものであった。自分にはたして、タコラ教の教祖を説得できるのか?

  心に波紋を広げた一石である教祖の言葉。

  『おごれる人類に鉄槌を下す神の使者なのだ』

  それを抱えてしまっている以上、自分に自信がないのも当然であった。

  鎮圧という手段に踏み切れずに、説得という方法を選んだことにも、その

思いは表れている。武力を行使する気にはなれなかったのだ。

  だからこそ、説得にはフェンリル自身は赴かねばならない。

  説得に失敗すれば、即に鎮圧という手段を求める声が高まるだろう。

  それを拒否することは、帝国軍総司令官としては出来ない。

  理想とは異なる道を歩み始めたミレニアム帝国を救うために、フェンリル

はあえて説得という道を選んだのだ。帝国の平和を維持する義務を負った

一人の責任ある人物として・・・。

  (やるしかない)

  フェンリルはそう思い、教祖へと足を進めた。

  「?」

  その途端、フェンリルの耳はタコラ教の呪文のような歌とは違ったメロディー

を捉えた。それはすぐ近くから聞こえてくる。

  「ぼうや〜、よいこだ〜、ねんねしな〜!」

  見ると、帝国軍の制服を着た隊員が、声を限りに歌い叫んでいる。

  顔を真っ赤にして歌っているのだが、その声はほとんどタコラ教の呪文歌に

かき消されて意味をなしていない。

  「ヘルモーズ。あれは…、何だ?」

  「はっ。強行偵察隊のギャラハーとハイムです。ただいま、タコラ熟睡作戦の

任務を遂行中であります」

  「タコラ熟睡作戦…? あれがか?」

  「はい。子守り歌でタコラの安眠を少しでも助けようとするものです」

  「子守り歌で…?」

  フェンリルが目を細めた。その視線の先には、必死で子守り歌を熱唱する

二人の男の姿がある。

  「いかがです? かなり効果的な作戦だと思いますが…」

  ヘルモーズはそう言って、胸をはった。オペレーターを通じて、子守り歌作

戦を命じたのは、どうやらヘルモーズだったらしい。

  だが、返ってきたフェンリルの反応は彼の予想とは違っていた。

  「・・・・不憫だ。やめさせろ」

  「は?」

  低く押し殺したような声に、ヘルモーズがキョトンとする。

  「やめさせろ、と言ったんだ!」

  「は、はい、た、直ちにっっ!」

  怒鳴られたヘルモーズがすっ飛ぶようにして、二人のもとへと駆けていく。

  その様子を見て、フェンリルがため息をつく。

  (やはり、私は不幸なのだ・・・)

  信頼すべき副官のアホさ加減に、うんざりだった。

  もっとも、他人の目から見れば「この上司にして、この部下あり」と映るのかも

しれない。だが、その当事者は得てして気づかないものである。

  フェンリルは世の中の不幸を一身に背負ったような足取りで、タコラ教の教

祖のところへと向かうのだった…。

 

  「何だって、教祖の説得に向かった?」

  対策本部の中に、信じられないという叫びが響いた。

  声の主は、対策本部の留守を預かった帝国軍参謀長のミュニアルであった。

  ネズミのような顔とやせこけた体は、およそ軍人とは思えない。だが、帝国軍

におけるエリートであり、特に数字で計算された机上の作戦には定評がある。

  もっとも机上の空論が、レジスタンスなどとの闘いで活かされたことなどは、一

度としてないのは言うまでもない。

  元々は地方貴族の出身であり、数代前の皇帝との姻戚関係を盾にのしあが

ってきた一族の一人だった。

  現在の地位にあるのも、能力以前の問題であることも明白であった。

  あくまでも皇帝の威をかるキツネといった印象のあるミュニアルであった。

  「どういうことか、説明しなさい!」

  ヘルモーズからの無線連絡を受けたミュニアルが、キンキンとした金切り声

で叫ぶ。女みたいな印象のする男であった。

  「将軍は、武力による鎮圧を避けておられるようです」

  モニターに映るヘルモーズはそのように報告する。

  「くだらない。相手はタコラ教団なんですよ!」

  「・・・分かっております」

  「あの怪獣タコラは、皇帝に害を為そうとした大罪の生き物。それを崇める

タコラ教団も同じように皇帝に背いた反逆の徒であるのは間違いない!」

  「・・・分かっております」

  「だったら、遠慮はいらないはず。さっさと攻撃しなさい!」

  ミュニアルがヒステリックに叫ぶ。

  「ですが、フェンリル将軍の指示がありません。待機の命令が解けない限り

は勝手に行動を起こすことは許されません」

  ヘルモーズが毅然とした態度で答える。フェンリル将軍直属の部下である

以上は、参謀長と言えど、ミュニアルの指示に従う必要はない。

  実際にはヘルモーズ自身がミュニアルを好きではないこともあり、言葉は

丁寧ではあるものの、きっぱりと拒否の意を伝える。

  「もういい!」

  直属ではないとは言え、階級が下の人間に拒否されたことに腹をたてた

ミュニアルは無線を一方的に切ってしまう。

  灰色に変わった画面を見ながら、ミュニアルは悔しそうにうめいた。

  「こうなれば、私自身が考案する作戦でタコラを倒すしかない!」

  憑かれたような声で、ミュニアルがつぶやく。その目にはフェンリルを出し

抜いての帝国軍総司令官になろうとする妄執の炎が揺れる。

  「シンドゥリ博士とペイオス助教授をここへ!」

  ミュニアルが叫んだ。ドアのところにいた隊員の一人が敬礼し、慌てたよう

に外へと駆け出していった。

  「私にはタコラ必殺の秘策がいくつもある。あの天才科学者の二人を味方

につければ、怖いものなどない・・・」

  スチャラカ科学者コンビを味方につけて、どうするんだ。と言いたいところ

だが、当のミュニアルはそう思っていないようだ。

  自分の頭脳の中でだけ展開する作戦に酔いしれながら、不気味な微笑を

口に刻むのだった・・・・。

 

  ドンツク・・・ドンツク・・・ドンツクドンツク・・・・!

  妖しいリズムが響き渡る中を、ゆっくりとフェンリルは進んでいく。

  「タコラ〜やっ! タコラ〜やっ! タコラ〜やっ!」

  不気味に響く歌声に囲まれるステージに、一人の男がフェンリルを待ち受け

ていた。タコラ教の教祖である。

  「来ましたね。帝国軍総司令官、フェンリル将軍!」

  近寄ってきたフェンリルに、轟くように声が浴びせられる。

  大スピーカーから流れる教祖の声に臆することなく、フェンリルは真っ正面

から向き合った。

  「タコラ教の教祖だな・・・」

  内面の不安を見せることなく、毅然とした態度でそう呼びかける。

  「いかにも!」

  教祖の声が響いた。

  「タコラ教の教祖のくせに、『イカにも』とは不謹慎だな・・・」

  フェンリルが洒落のつもりで言う。

  「・・・・・・・・・・・・・」

  だが、全く受け入れられずに、気まずい沈黙を生み出しただけだった。

  フェンリルは寒い空気の中に取り残されたように、佇む。

  「・・・・・それを言いに来たのですか?」

  教祖が困ったように尋ねてくる。

  「そ、そんなはずあるか!」

  フェンリルが顔を真っ赤にして、怒鳴り返す。洒落を言ったことを失敗だっ

たと思いながら・・・。

  「では、何をしに来たのですか?」

  教祖が再度尋ねてくる。

  「速やかに解散することを勧告しに来たのだ」

  「・・・・・・・呑めませんな」

  「な、何だと??」

  いきりたつフェンリルに、教祖はニヤリと笑う。

  くだらない洒落のために、完全に相手のペースに呑まれてしまったフェンリル

とタコラ教教祖の対決は、こうして始まったのだった。

 

                                                                          つづく